後世で「すっげえ奴」と思われたいからラッパーのはにわを作ろう!
はあ。
いいね、「すっげえ奴」。
例えば、超大金持ちとか、足が超速い人ってすごいですよね。
僕は別に足も速くないし、お金も全然持っていないので、
全然すごくない、いわば「凡夫(ぼんぷ)」です。
なんとか「凡夫」を抜け出して「すっげえ奴」になりたいなあ。
でも、今から頑張っても無理な気がするなあ・・・
そこで考えました。
後世ならいけるんじゃね?
ところでみなさん、「はにわ」はご存知でしょうか。
「はにわ」とは、古墳時代に作られた王様や豪族、
その土地の実力者の墓「古墳」の周りに置かれたオブジェのことです。
古墳に眠る人を守る「厄除け」の意味もあったのですが、
はにわの種類や置かれている数によって、
その人の権威や力を表していたともされています。
つまり、はにわとは「すっげえ奴」の象徴なのです。
後世、つまり死後、自分の周りに「すっげえはにわ」があったら
「こいつ、すっげえ奴だったんだ」と思われるんじゃね?
しかし、はにわを作ると言ってもそのまま作っては
「大昔の人」と思われてしまう可能性があるので、
現代の「すっげえ奴」にふさわしいはにわを作りたいと思います。
現代の「すっげえ奴」といえば、そう・・・
「ラッパー」です。
「ラッパー」は超大金持ちで、たっけえ服を着ながら、
たっけえ車を乗り回し、夜な夜なパーティーを開いているものです。
しかもラップで大金を稼げるほどの才能があって、
頭の回転も早く、多分足も超速いです。
とても羨ましいですね。なりたいですね。
なので今回はラッパーっぽい
イルでドープなはにわを作っていきます。
※イル:かっこいいの意味
※ドープ:かっこいいの意味
それでは早速始めていきましょう。
まずは粘土に触れてみよう!とのことで、
普通のはにわを作ってみます。
とりあえず道具を揃え、机をセッティングしました。
そして粘土をこねていきます。
ここからはダイジェストでいきましょう。
できました。
初めてにしてはなかなか可愛らしくできたのではないでしょうか。
???「コ、、、、」
「ん?なんだ???」
「えもくんこんにちわ!」
「はにわが喋った!?」
「えもくんが上手に作ってくれたから自我が芽生えたよ!」
「本当は?」
「狂言回し的なキャラクターがいた方が記事が読みやすいから誕生したよ」
・はにわを知ろう!
「まずは、はにわの種類から勉強していこうね」
「はにわはざっくり分類すると、円筒で、古墳を守る魔除や、テリトリーの役目がある『円筒埴輪』と、主にその人の権威や力を表す『形象埴輪』の2種類があるよ。」
「今回はこの中でも『形象はにわ』を作っていこうかな」
「そうだね!じゃあまずは『形象はにわ』の中でも『人物はにわ』を作っていこう!」
「え、誰。怖。」
「ラッパーのはにわを作るんだったらスタイルから変えていかないとな。今からはKozy.E(こずぃーいー)と呼んでくれ」
「こずぃーいー・・・?」
「作業道具とかもそうだけど、形から入るスタイルなんだね」
「ye」
・「人物はにわ」を作ろう!
「『はにわ』と聞いてまず思い浮かべるのがこの『人物はにわ』じゃないかな。王様や武人(兵士)、巫女を象ったものが多いよ。人物はにわの種類や置き方を観察することで、まつられている人がどういう人だったかが分かるんだ。」
「なるほど。それはとてもill(イル)だね。」
「古墳時代生まれだからよく分からないけど・・・と、とにかくじゃあ作ってみよう!」
こね・・・こね・・・
「できたぜ。これはKozy.E生涯の中でも最高傑作だぜ。」
「さっき生まれた人格でしょ」
「まずは俺自身を象ったはにわだ。」
「首元のブリンブリン※がお洒落だろう」
※ラッパーがつけている派手なネックレス
「土色だからわかりづらいね。でも、王様を象ったはにわにも豪華な装飾がついていたりするよ」
「あとは俺の大切なCrewたちのはにわと・・・」
「2MC 1DJなんだね。ファンキーモンキーベイビーズと一緒だね」
「これはあの“伝説の夜”をはにわで再現してるんだぜ」
「いつだよ」
・「器財はにわ」を作ろう!
「人物はにわは一応できたから次は『器財はにわ』を作ってみよう!器財はにわっていうのは盾や剣といった武器だったり、船や家を象ったものがあるよ。魔除の紋様が彫ってあるものもあって、古墳から邪悪なものを遠ざける意味もあったんだ」
「おい!!なんとか言えよ!!!」
「ようは俺の持つ『財』をはにわにアウトプットすればいいってワケだな」
「なんか違う気もするけど、それでいいや」
こね・・・
こね・・・
「さっきから気になってたけど、ネックレス邪魔そうだね」
「・・・できた。これこそまさに俺の最高傑作だ」
「さらっと最高傑作を更新するな」
「これは俺の築き上げてきた財、いわば力の象徴・・・」
「俺の唯一の武器であるマイクロフォン、そしてストリートを駆けるいかつい車、そしてなんかよく分からないけどめちゃくちゃ高いスニーカーだ」
「自分で言っておいて虚しくならない?全部嘘なんだよ?」
・はにわを並べてみよう!
「じゃあこいつをとりあえず並べてみるか」
「まずは布団を敷いて・・・」
「畳なんだ・・・」
「ここではにわを並べてみよう」
「並べ終わったぜ」
RIP…
(Rest in Peace)
「これで俺もLegendだぜ・・・」
「・・・なあ、Kozy.E。アンタ本当にそれでいいのか?」
「自我を持ったはにわ・・・?」
「アンタのやってることは所詮フェイクのまやかし!!すべて虚しいライフのごまかし!!」
「俺は観たぜリアルなヒップホップ。コンプトンから築くリアルなストーリー!お前は気付いているか?自分が何を築いているのか!?」
「こいつ、俺がはにわを作ってる間に『ストレイト・アウタ・コンプトン』観てやがる」
※ストレイト・アウタ・コンプトン:2015年に公開された、伝説のラッパー グループ「N.W.A」の映画
「クールだぜリアルな生き様。ざまあねえなお前の有様。全部見てるぜお天道様」
「くっ・・・」
「そもそもはにわはその人のリアルな権威や力を後世にも伝え残すためにあるもの・・・つまり『リスペクト』の象徴でもあるんだ。アンタにはあるか?フェイクだらけの人生をリスペクトされる可能性が」
「いや・・・」
「だったら生み出せリスペクトある人生!今すぐにただせよ方向性!フェイクじゃないリアルで生きていこうぜ!!なろうぜ本当の『すっげえ奴』!!!」
「アーーーーーーーーーーーーーイ!!!!!!」
「・・・そうだな。確かにフェイクだらけの人生だったら、たとえ豪華なはにわがあったってだせえよな」
・・・・・
「ありがとう。これからはリアルで生きていくよ。そしていつか自分の力で『すっげえ奴』になってみせる・・・!」
まさか、はにわに人生を説かれるとは思いませんでした。
「後世」には生きてきた証が残るもの。
リアルに生きてこそ、「すっげえ奴」になれるんですね。
よし!
今日から貯金して、ビッグマネーをつかむぞ!!
「貯金箱だったんだそれ」
夏の終わりに、1982年の山下達郎と2014年の菊地成孔。そして100年後の中華そばと先週の私の体験。
夏らしいことをしましたか?と、この時期になると聞かれることが多い。ラジオでも、「夏らしいことしましたか」とオープニングトークで耳にすることが多かった。
なぜ、夏という季節だけ何かをしなくてはならないのだろうか?「冬らしいことしましたか?」と、聞かれることは少ない気がする。聞かれたとするならば「鍋を食べました」くらいしか答えることがない。が、別に鍋は夏に食べたっていい(『鍋を食べました』というと陶製あるいは鉄製の鍋をかじり、咀嚼する行為と思われがちだが、『鍋』とは『鍋料理』のことであり、寄せ鍋、キムチ鍋、水炊き、など多種多様な種類がある。豚肉や牛肉などを鍋にする際は『灰汁』というものが浮いてくるので、こまめに取らなければならない。また、『鍋を食べました』と言って『お前鍋かじったのかよ』というやつが取っているのは『灰汁』ではなく『揚げ足』である。加えて、冬に行われるイベント『クリスマス』では『揚げ足』ではなく『焼き足』、つまり鶏の足を焼いたものを食べるのが一般的であるが、テレビCMでは『揚げ足』を食べるように促している。この文化は日本だけで、ファストフードとして『揚げ足』を食べる文化圏の方から見ると、わざわざお祝いの日に列を作ってまでファストフードを食べるという風景が滑稽である、と聞いたことがある。日本のファストフードと言えば寿司、になるのだろうか。が、お祝いの日に寿司を食べることは普通のことである。また冬らしいことを連想するにあたり、『クリスマスパーティー』や『スノーボード』などが出てこないあたり、私の寂しい交友関係が明るみになってしまったことは言うまでもない)。夏らしいことと言われて思い浮かべるのは、スイカを食べたり、海で遊んだり、花火を見たりすることだろう。今年は未だ蔓延する病気のせいで、どれもすることはなかった(そもそもすいかが苦手なので、私の中ではすいかを食べる=夏ではない。すいかを見る=夏、ではある)。ただ暑い日差しとウィルスを避け、クーラーの効いた部屋に閉じこもる夏であった。
夏の終わり、というとあるラジオの一節を思い出す。あまりにも名文、名口上なので、何度も聴いてしまう。菊地成孔氏の「粋な夜電波」第170回の前口上である。氏の語る言葉は難しく、解釈にばらつきが出るだろうが、この前口上を聴くたびに「夏に何を感じたか」を考える。仕事中にラジオから山下達郎の「SPARKLE」が流れると、約40年前に作られたとは思えないほどの弾けるような瑞々しさを感じる。夏は山下達郎だけを聴いていたいとさえ思える。ただ、この瑞々しさは恐らくこの曲ができたその時から変わらずに続くものなのだろう(氏も前口上にて同じことを言っている)。ラジオから山下達郎が流れた夏は、1982年であり、1992年であり、2021年であり、2182年でもあるのだ。ボロボロの中華料理屋で食べる中華そばも、開店当時から今まで味が変わらないということは『昔ながらの中華そば』ではなく、『未来からの中華そば』でもあるのだ。途端に、澄んだスープに黄金色の麺、少しのメンマにチャーシューが一枚乗ったこの食べ物が宇宙食にも見えてくる(それは言い過ぎか)。
夏らしいことをしましたか、と聴かれれば特に挙げることもないが、私にとっては「菊地成孔の前口上を聴きました」ということがせめてもの夏らしいことだろうか。前口上の最初は「この夏はどうだった?」という言葉から始まる。今年の夏、厳密に言えば先週、仕事をしていたら足に刺激的な痛みを感じ、驚いて足元を見ると一匹の蜂が飛んでいった。山の中で生まれ育ち、一度も蜂に刺されたことがなかったにも関わらず、大都会東京の、しかも室内で、もっと言えばその日家に二足しかない『くるぶしソックス』を履いて行ったばかりに、蜂に刺されたのだ。
『2021年夏、上京して初めて蜂に刺された』と、菊地成孔氏に伝えれば、きっとこう言うだろう。
『大いに結構』
“隠れてお尻を出している状況”をどうにかしたいのですが
「PayPayの背景変えられますよ」
そう教えてくれたのはミニストップの店員だった。
PayPayに登録したてだった私は困惑した。まず、「背景が変えられる」の意味が分からなかった。「どういうことですか?」と尋ねると、「ここを押してここの画像を押すと変わりますよ」と丁寧に解説してくれた。試しにガス会社のクマ?の画像を選択すると、確かにバーコードを表示している画面がかわいいキャラクターに切り替わった。
しかしなぜ、そんなことを教えてくれたのだろうか。とりあえず、「ありがとうございます」と返したが、あまりの突然の出来事に頭の処理が追いついていなかった。PayPayを使う人にとって、背景を変えることは当たり前のことなのだろうか? もしかしたら背景を登録していないのは、服を着ていないことと同じことなのだろうか? そうなると「PayPayで」と得意げな顔で裸のバーコードを出すことは、得意げな顔で下半身を露出しているのと同義である。さりげなく背景の変更、つまりパンツを履くことを勧めるだろう(通報されなかっただけありがたい)。
店に行き、物品またはサービスと引き換えに金銭を差し出す行為。これは短時間で行い、かつトラブルが発生しないように機械的に処理される。人為的なトラブルがない分、セルフレジの方がよほど便利かもしれない。ただ、セルフレジの導入をしているところは少なく、大抵は店員とのやりとりになる。そして書くまでもなく当たり前だが、店員は機械ではない。人間なのだ。ゆえに、売買以外のやりとりがごくたまに発生する。その瞬間、機械とのコミュニケーションにはない、温度のある「人間」とのコミュニケーションが生まれるのだ。
忘れられない店員とのやりとりがある。何年か前、深夜にファミリーマートへ行った。そのファミマは繁華街の中心にあった。店に入るとどこの国だろうか、黒人の店員が揚げ物の機械を掃除していた。来店した私をちらっと見ると、大急ぎでゴム手袋を外そうとしたので「いいですよ、急いでないですよ」と一声かけた。他に客もいなかったし、急いでいなかったので洗い終わるのを待つことにした。少しして、店員が洗い物を終えたので私はライターを購入した。すると、
「アナタヤサシイネ」
と、店員に突然声をかけられた。片言だったが詳しく話を聞くと、この店はレジが遅いとめちゃくちゃ怒る客が多いとのことだった。たしかに繁華街の中心にあるので酔った客も多く、客の質は悪そうである。だから、急いでないですよと言ってくれたことが嬉しかった、と。
「そのくらい待ってもいいですよね」
と私が言うと、彼は笑っていた。
退店する時に、彼は
「ココロヲヒロクネ!」
と、腕を大きく広げて言った。私は嬉しい反面、申し訳ない気持ちになった。異国の地から日本に来て、慣れないことだらけの中で彼に強く当たる人がいたこと。にもかかわらず「心を広く持とう」と思わせてしまったこと。店員は人間なのだ。自分と同じように、赤い血が流れているのだ。辛く当たられれば辛いのだ。これまでも店員に強く当たったことはないが、これからも感謝の気持ちを忘れてはいけないと思った。
先述したPayPayの背景の変え方を教えてくれた彼女とのやりとりで、改めて私は買い物の際に人間とやりとりをしているのだと感じた。今、外出を自粛しているせいで人と話す機会が激減した中、こうした「温度」のあるコミュニケーションができてとても嬉しかった。いつまでもこの時に感じた「温度」を忘れないように、ここに書き記しておく。不安な日々の中で、人々のために働いてくれている人たちに感謝してもしきれない。
・・・ところで、話は変わるが、PayPayの背景を元に戻すにはどうしたらよいだろうか? このクマの背景だが、タップして残高を表示するとクマの尻が表示される。せっかく裸のバーコードに服を着せたのに、タップするとプリプリのお尻を露出してくる。少し恥ずかしいので他の背景に変えたいのだが、変え方をすっかり忘れてしまった。
今、私のPeyPeyは“隠れ露出狂のクマ”が背景になっている。
会社でカプリコ食べる人、いる?
私事だが、去年の冬ごろに転職をした。
転職というのはとてつもなく大きなエネルギーが動く。そのエネルギー活動は勤務地が変わることによる位置エネルギーの変化と、職務内容が変わる運動エネルギーによって起こされる。位置エネルギーと運動エネルギーってこういう時に使う言葉ではないけれども。ともかく、身の回りの環境がガラリと変わるのだ。
それで言うと、一番とは言わないが個人的に大きな変化だと思うのは「オフィスグリコの有無」だ。オフィスグリコ。会社にある人も多いかもしれない。社内の一角にお菓子などが詰められた箱があり、100円を入れると好きなお菓子を持っていける。昔畑の横にあった野菜の無人販売のようなものだ。畑がオフィスに、野菜がお菓子になっただけである。
前の職場にはオフィスグリコなんてものはなかったので、小腹が空いた場合の対処法は一つしかなかった。「我慢」である。そのため、昼休憩になるといつも以上に食い溜めをしておかなければならなかった。(まあ、よくトイレに行くふりをしてコンビニでおにぎりを急いで食べていたりもしたが…)
しかし、このオフィスグリコが社内に置かれているということはどういうことか。いつでも社内飲食OKということである(論理が飛躍している気がするが無視する)。つまり、小腹が空いたものなら、100円と引き換えにお菓子を買えばよい。ありがたいことである。ちょっとしたオアシスである。
とは言え、今の会社に入りたての時はオフィスグリコを使うことに抵抗があった。仕事中にお菓子を食べてもいいのか?とかそういう懸念もあったが、新参者がいきなりお菓子をボリボリ貪っていたら厚顔無恥な野郎だと思うのではないか…という恐怖があったのだ。相変わらず人目が気になってしまうので、しばらくはオフィスグリコに後ろ髪を引かれながら過ごしていた。が、今は仕事にも慣れ、小腹が空けばお菓子を貪る日々だ。あと、わざわざエレベーターに乗り、下のコンビニに行くよりよっぽど効率が良い。
オフィスグリコで最も重要であろう点は、中に入っているお菓子の内容だ。基本的には片手で食べられるような軽いものが多い。チョコレートしかり、豆しかり、ビスケットしかり。だが、具体的に何のお菓子が入るのかは隔週で補充に来るグリコさんに委ねられる。もちろんある程度、売れ筋などは反映してくれるのだろうが、結局のところグリコさんのセンスで選ばれている。だからごくごくたまに社内で「今回のオフィスグリコはセンスがねえなあ」と心無い言葉が聞こえることがある。ちなみにその時は僕が好きなチョコビスケットがなく、代わりにチョコがカフェオレ味になったビスケットが入っていた。センスがない。が、基本的に僕は文句を言わず、まるでクリスマスにプレゼントを待つ子供のように、毎回来る補充を楽しみにしている。
そんな中で、一つだけ、一つだけ物申したいことがある。本当に一つだけだ。
「会社でカプリコ食べる人、いる?」
これだ。これだけ言いたい。
カプリコとは…なんて言えばいいのだろう…ご存知だとは思うが、コーンのアイスのアイスの部分がチョコレートになっているお菓子だ。うちのオフィスグリコには毎回二つほど、このカプリコが入っている。
想像してほしい。大の大人がだ、いくら社内でお菓子を食べてもいいという空気だとして、仕事中にカプリコにかじりついていいのだろうか。カプリコにかじりつきながら仕事の話をされてもまったく聞いてくれないだろう。何故か?カプリコをかじっているからである。
毎回オフィスグリコを買うたび、奥の方にひっそりといるカプリコと目が合う気がする。違う、お前を食べるのは俺じゃない。だからそんな目で見るな。お前は社内で誰にも相手にされることない。だから回収され、新しい場所に行くべきだ。少なくともお前のいる場所はオフィスじゃない。と思いながら別のお菓子を買う。
カプリコにふさわしい場所とはどこか。それはオフィスのようにせわしなく人が働いているようなオンタイムの場所ではない。仕事が終わり、家路につき、誰も見ていないところで思いっきりかじる。オフタイムの場所でこそ輝く。カプリコはそんな場所の方がふさわしい。
冒頭にも書いたが、転職というのはものすごいエネルギーが動く。故に今までとは違う心労があるし、生活の環境も一気に変わる。ただ、少なくとも前の場所よりも環境は良くなっていると思う。やりがいもある、楽しい仕事場だ。しかし、いくらやりがいがあるとは言え、疲れることは疲れる。カプリコの本当の仕事は、忙しいさなかに短時間で腹を満たすようなことではなく、そんな日々の疲れをゆっくり癒してくれるようなことなのだ。
人はそれを「ごほうび」と呼ぶ。
貼れないカイロと貼らないカイロ
今日の朝はとても寒かった。
昨日までは寒いながらもほんの少し春の陽気のようなものを感じていたが、打って変わってまた耐え難い寒さだった。おまけに雨も降っていた。冬の寒さと雨の冷たさで空気は冷えに冷えていた。
おかげで今朝は腹の調子が悪かった。腹を温めるためにコンビニでカイロを買うことにした。貼るカイロから、靴に仕込むカイロ、様々なカイロがあったが、そこに「貼れないカイロ」という見慣れない言葉の書かれたカイロがあった。
「貼れないカイロ」?
今日、南国あるいは熱帯から日本に来日した方以外はご存知だと思うが、基本的にカイロ(今日来日した方用に書いておくと、カイロというのは不織布の中に黒い粉のようなものが入っていて、空気に触れると温かくなるシロモノである)というのは大きく分けて二種類存在する。裏面が粘着テープのようになっていて衣服に貼ることができる「貼るカイロ」と、粘着面のない「貼らないカイロ」だ。
この、「貼らないカイロ」の名前が「貼れないカイロ」になっているのだ。僕が知らないだけで、案外「貼れないカイロ」という名前で流通しているものもあるのかもしれない。しかし、同じ粘着面のないカイロだとしても、「貼らない」と「貼れない」とでは受け取るメッセージが違う。英語で言えば「DO NOT」と「CAN NOT」の違いだ。
「貼れないカイロ」。彼は確かに貼るカイロと比べて、貼れないという欠点がある。それに後ろめたさを感じているように思える。「貼らないカイロ」はそんな後ろめたさなどはとうに忘れ、「自分は自分っす」というような意思を感じる。だが、それは決して「諦め」の意思表示ではない。ペンギンは「飛べない鳥」だが、だからといって「飛ぶ鳥」より劣ってはいない。彼らは水中を自由に泳ぐことができる。「貼れないカイロ」だって、貼れないからこそ、ポケットに入れることができるし、握って手を温めることもできる。彼らは貼れないからこそ、自由に動き回れるのだ。
だから「貼れないカイロ」なんて、まるで貼れないことがコンプレックスだと言っているような、そんな言い方をしないでほしい。君には君の良さがある。けれど、まだそれに君自身が気付いていないだけなのだ。貼れなくていい。むしろ貼れないから良いのだ。貼れないからからこそ活かせる君の持ち味を大事にしてほしい。次の冬に、そのことに気付いて「貼らないカイロです!」と胸を張って堂々としている姿が見れることを祈っている。
と、思いながら僕は「貼るカイロ」を買った。冷えた腹に貼りたかったからである。それとこれとは話が違うのだ。
黄昏射手座流星群
この間立ち読みした雑誌に、
「12月◯日〜1月◯日の星座占い」
というようなコーナーがあった。
僕は射手座なので、射手座の運勢を見ると
「いろいろなことを学ぶ時期。
思わぬところで奢ってもらうことがあるかも。
小さな無駄遣いに注意」
みたいなことが書いてあった。
去年の10月から転職し、3ヶ月経つ。
12月ごろから「もう慣れてきたでしょ」と
言わんばかりに仕事が増え、
その都度様々なことを学ぶ機会が多い。
ある日、遅くまで仕事をしていると
会社の先輩から飲みにでも行こうと誘われた。
そこでも仕事のアドバイスを受けた。
飲み会でのアドバイスは社内と違い、
人生そのものについて考えるような
ありがたいアドバイスだ。
これもまた学ぶことがたくさんある。
そして「小島くん、今日は出すよ」と
言われ、ご馳走になってしまった。
「ありがとうございます!」
と、嬉しい気分になっていると同時に
妙な既視感があった。
そう、
当たっているのだ。
あの占いが。
無駄遣い。これも最近よくある。
コンビニでちょっと高い肉まんを買ってしまったり、
会社でオフィスグリコのお菓子をむさぼったり、
年始のセールで安くなってたからといって
『死語パーカー』を買ってしまった…などなど。
これが『死語パーカー』である。いつ着るんだ。
と、怖いくらい占いが当たっているのだ。
この1ヶ月、学んで奢られて無駄遣いをしまくっている。
ただ、同時にこう思う。
「すべての射手座がそうなのか?」と。
そもそも射手座とは
11月23日~12月21日生まれの人を指す。
当たり前だが相当な数の射手座が
この世には存在する。
「射手座のあなたは今日頭に隕石が降ってきて死にます」と言われたら、
空から何万もの隕石が降ってくるに違いない。
そして死ぬ。
占いが当たっているのは単なる偶然なのか、
それとも監修した占い師が
未来予知ができるのか…
と、会社の新年会後に
バーで仕事のアドバイスを受けながら
ハイボールを奢ってもらい、
帰りの電車をうっかり乗り過ごして
家までタクシーで帰っている途中に思った。
きっとこの寒空の下で同じように
タクシーに乗っている射手座がいる…
かもしれない。
遠い国からはるばると
インフルエンザにかかってしまった。
2日前、朝起きた際に「あれ?なんか頭が痛いな」と思って体温を測ってみたところ、37.5度だったため安静にしていたのだが、今日病院に行って判明した。
この時期に風邪を引くと大抵病院でインフルエンザの検査をさせられる。あの、鼻の穴の奥に綿棒を突っ込まれるアレだ。アレが嫌で嫌で仕方がない。確実に脳味噌まで届いている。病院で右の鼻の穴に綿棒を突っ込まれた時、あまりの痛さに悶絶し、思わず右足が上がってしまった。その痛みを引きずったまま、今度は左の鼻の穴へ。痛い思いをするたびに思うが、片方だけ取れば充分ではないか。もう片方はストレス発散のためだけにやってるのではないだろうか(そんなことはない)
そうして、足も上がるような痛い思いをした結果、インフルエンザA型と診断されたのである。
心配になり、土日に遊んでいた友人3人に連絡したが、うち2人もインフルエンザA型と診断されたとのこと。おそらく誰かが菌を持っていたのだ。バイオハザードである。あなたのインフルエンザはどこから?と聞かれたら、間違いなくどちらかの友人の名前を答える。
ところで、インフルエンザ菌というのはどこから来るのだろうか。現在看護学校で医療の勉強をしている中岡まゆに聞いてみたところ「渡り鳥が運んでくるって検索したら出てきた」と返ってきた。知らんのかい。
僕も詳しく知りたかったので検索することにした。持つべきはGoogle検索である。すると、やはりインフルエンザ菌は渡り鳥が運んでくると出てきた。このサイトに詳しく解説がある↓
http://pro.saraya.com/kansen-yobo/column/company/iwasaki03.html
…なるほど。
このサイトにある「シベリアの永久凍土」という言葉に、若干のロマンを感じてしまった。永く凍りついた太古のウィルスが復活してしまった感がある。B級パニック映画の始まりのような設定である。
そして、封印を解かれた菌達が渡り鳥の身体の中ですくすくと育ちながら遠い海を渡ってくるのだ。シベリアから日本まで、海を渡ってくる。渡り鳥というのは地図もコンパスも持ってないのによくシベリアから日本まで辿り着けるなと思う。道に迷ってモンゴルあたりに間違えて行ってしまう渡り鳥もいるのかもしれないが。そうして、無事日本に辿り着いたインフルエンザ菌はなんやかんやあって僕の身体に辿り着いた。長旅ご苦労様である。
しかし、インフルエンザで大変なことになってしまう人もいる。だからこんな呑気なことは言ってられない。今はただ、薬を飲み、安静にするのが一番である。
今日病院に行くために外に出ると、日差しが暖かかった。気がつけば季節は春である。
春はどこから来るのだろうか。