いつもより熱い湯に浸かって

寒い日が続く。

特に今週末の寒さは「急に本気出し過ぎだろ!」冬にツッコみたくなるくらい寒い。朝、地元の温度計を見たら-9℃と表示されていた。ちっちゃいシベリアか。こうも寒い日ばかりだと銭湯に行きたくなる。

僕は銭湯が好きだ。カバンにはいつも銭湯セットが入っていて、常時銭湯態勢だ(戦闘と銭湯をかけている)。誰かと待ち合わせ中、1時間くらい時間があると、近くの銭湯へひとっ風呂浴びに行くほどである。

銭湯の良さというのは、そこに向かう時からスタートしている。銭湯の所在地を調べると住宅街の真ん中にあったりする。知らない住宅街を歩くというのは異世界をふらふらと彷徨っているようで楽しい。ただ、あまりふらふらとしていると不審者と思われそうなのでそそくさと目的地である銭湯に向かう。

番頭さんに入湯料を払い中に入る。銭湯の中には色々な人がいる。住宅街の真ん中にある銭湯は日常的な風呂として使っている人がほとんどだ。だからまるで他人の家の風呂に入っているかのような、そんな緊張感がある。身体を流す時に飛沫が飛ばないようにそっと湯をかけたり、自分が使った洗い場は泡一つ残さないように綺麗にする。あと、使った椅子はちゃんと元の場所に戻す。こうも神経質にする理由は一度常連と思われる「銭湯おじさん」に注意されたことがあるからだ。

こうも気を遣ってばかりだと「銭湯ってなんか窮屈だなあ」と思われてしまうかもしれない。そう、窮屈なのだ。湯船に浸かるまでは。

身体を綺麗に洗い、いよいよ湯船に足を入れる。熱が足先から全身に伝わる。家の風呂より数段に熱い。そして肩まで浸かる。するとどうだろう、先ほどまでの窮屈が嘘のように開放的だ。極楽だ。思わず声が出そうになるが他の人もいるのでぐっと押し殺す。この瞬間が何よりも好きだ。だから気を遣いまくろうが銭湯に通う。通いまくる。

僕が特に好きな銭湯が大須にある「仁王門湯」だ。人生で初めて行った銭湯だからというのもあるが、大須に行くとたいてい浸かりに行く。この仁王門湯だが尋常ではないほど湯の温度が熱い浴槽がある。どのくらい熱いかというと熱すぎて逆に氷を触った時のような痛みを感じるほどだ。いったい何度あるのだろう。一度沸騰させていると言われても信じてしまう。友人と行くと「今日こそはいけるんじゃないか」とチャレンジするが3秒入れれば良いほうである。一度3秒以上入ったことがあるが、首から下が真っ赤に茹で上がってしまった。

 

朝-9℃と表示されていた温度計は夜になった今見ると-4℃になっていた。朝から晩までちっちゃいシベリアが続く。これだけ寒いと「今日こそは仁王門湯、いけるんじゃないか」と危ない考えが頭に浮かぶ。絶対にまた真っ赤に茹で上がるだけだ。ただ、そうなるまで熱くなった後に飲むキンキンに冷えたコーヒー牛乳が何よりも旨いのだ。一気に飲み干すと、喉は冷たいのに心が温かくなるような、そんな気がするのだ。

 

もし地獄が極寒の地ならば、天国は銭湯の形をしているのかもしれない。