永遠と刹那の一秒で

アインシュタインが「相対性理論とは何ですか?」と尋ねられた時にこんなようなことを言ったそうだ。

 

「嫌な人といると本当は一分しか経っていないのに、感覚的には一時間経っているように思ってしまう。逆に、恋人といると本当は一時間も経っているのに、感覚的には一分ほどしか経っていないように思うでしょう。それが相対性理論です」

 

おそらくだが、相対性理論を思いついた時にいろんな人から「相対性理論とは何ですか?」と聞かれたのだろう。最初はまじめに答えていたが、「あ、これ誰も理解してないな」と気付いた時、こういう誰しもに分かるような例え話をするようになったに違いない(多分違う)。

ただ、この例え、もっと分かりやすく、ストライクど真ん中な例えができないだろうか。僕はできる。

 

「ウンコがめちゃくちゃしたくてトイレを待っている時、本当は一分しか経っていないのに、感覚的には一時間経っているように思える。逆に、待ちに待ってウンコをしている時、本当は一時間も経っているのに、感覚的には一分しか経っていないように思える。それが相対性理論です」

 

歴史に残る大発見をウンコに例えるな。

そして一時間もウンコをするな。

しかし、本当にめちゃくちゃウンコがしたい時にトイレを待っている時間というのは永遠に感じてしまう。

 

僕は何故か朝ごはんを食べると100%腹を壊す。朝起きて、ご飯を食べて、仕事に向かい、腹を壊してウンコをする確率が100%だ。

家から会社まで約一時間半ほどかかる。だいたい8時に家を出るのだが、決まって8時半から9時の間に猛烈な腹痛に襲われる。家に出る前は何ともないのだ。だから出る前にウンコをするという対策ができない。

「朝ごはんを食べなければいいんじゃないか?」と思って朝ごはんを抜いたことがあるが、お腹が空きすぎて気持ちが悪くなった上にきっちり腹も痛くなった。何なんだよ。何の刺激を受けているんだよ。

腹が痛くなる8時半から9時というのはまだ移動中である。つまり電車の中だ。電車の中で腹が痛くなることがほとんどだ。腹の中で戦争をしてるんじゃないかと思うくらい、めちゃくちゃ痛くなる。

そうなると、乗り換え駅のトイレで一旦ウンコをするのだが、このトイレが毎回満席なのだ。しかもなかなか空かない。そのため、毎回空くのを待つことになる。

このトイレが空くまでの時間が、ものすご〜〜〜〜く長く感じるのだ。待っている間にここまでの人生を二回は振り返れる。大した中身もない人生だが。

本当にもう限界になると、僕は神に祈る。もし神がいるのなら、毎朝8時半から9時に「なんか、猛烈に祈られてるな〜」と感じているはずだ。だが、祈ったところで腹痛は治らない。神はいない。

永遠とトイレが空くのを待っていると、ついに一つの個室から水が流れる音が聞こえてくる。僕はこの音を「福音」と呼んでいる。さっき「神はいない」と言ったばかりなのに。

空いた瞬間すぐさまトイレに入る。急ぎながら、しかし確実にズボン、パンツ(この時期はタイツも)を下ろす。そして……後は言うまでもないだろう。永く続いた苦痛から解放されるのだ。もっとも、いつも勢いがよすぎて、ものすごい吐き気に襲われるが。

トイレを我慢している時、永遠に腹痛という苦痛を味わっているように感じる。正反対に、解放の快感はほんの刹那である。

「本当はどのくらいの時間が経過しているのだろう」

毎朝、この永遠と刹那を繰り返しているとそんなことを思ったりする。

だから先日、実際に計ってみることにした。腹痛が始まりトイレに入るまでの時間と、解放しトイレから出るまでの時間を。スマートフォンのストップウォッチ機能で計る。本当にしょうもないことにテクノロジーを使っている。

 

その結果、

 

腹痛からトイレに入るまでの苦痛時間

体感時間:腹痛が始まってトイレに着くまでが

10分ほど、トイレが空くのを待っていた時間が15分ほど。

実際の時間:合わせて11分42秒

解放し、トイレから出るまでの時間

体感時間:3分くらい

実際の時間:7分25秒

 

……驚きの結果だった。かなり誤差がある。

苦痛を感じていた時間よりも、解放している時間の方に驚いた。あんなに一瞬に思えたのに、実はこんなに経っていたのだ。

相対性理論ってこいうことだったんですね……アインシュタイン博士……

 

明日もまた、同じ時間に腹が痛くなるのだろう。そしてまた同じように永遠と刹那の一秒間を感じる。いつもと変わらない、僕にとっての日常だ。

 

生まれ変わったら、腹痛のない朝を感じてみたい。