「素早さ」への憧れ

もし、現実世界にRPGのようなステータスがあったとしたら、迷わず「素早さ」を上げる。

「攻撃」のステータスを上げに上げ、拳一つで岩をも砕けるようになった人も、その拳が当たらなければ意味がない。ガンダムでシャアの操縦する「シャア専用ザク」も、通常のザクの3倍も機動力があり、強力なガンダムの攻撃を「当たらなければどうということはない」と身軽にかわしていた。とてもカッコいい。

「防御」のステータスを上げに上げ、たとえ岩が落ちてきても、逆に岩が砕けるほど硬くなった人の周りを「素早さ」に全振りしている僕はぐるぐる回っている。ものすごいスピードで。彼はただ丸くなっているだけだ。

思えば小さい頃から「素早さ」というものに縁がなかった。50m走も10秒の壁を越えることができず、足の速い同級生がキャーキャー言われながらリレーを走っている姿を眺めているだけだった。

なぜ、あの頃は「足が速い」だけであんなにもかっこよく、そして偉く、そしてモテたのだろう。これは人間の中に残る動物的な本能なのかもしれない。足が速いオスは狩りをするのが上手い。安定した食料供給が保証される。だからモテる。足の遅い僕はただ屍肉を食らうしかない。それが無くなれば、ただ餓死するのを待つだけだ。

足が遅いのであまり外で遊ぶのが好きではなかった。だから昼休みには教室で絵を描いたり、本を読んだりしていた。ステータス的には「知能」が上がっていそうだが、そこまで頭も良くなかった。ただただ「根暗オタク」のステータスがぐんぐん上がるだけだった。

そういう過去もあって、「素早さ」に憧れがある。速ければ速いほど良い。あまりの速さに「スピードの向こう側」へ行ってしまうほど、素早く動いてみたいと思う。

全ての男がそうではないと思うが、基本的に男というのは「素早さ」に憧れを持つ生き物なのではないだろうか。前述した、まだわずかに残る先祖の記憶がそうさせているのかもしれない。

もちろん、自分の身体には限界があるので道具に頼らざるを得ない。要するに車やバイクなど、速い乗り物に乗るのだ。真っ赤なポルシェに乗り、緑の中を走り抜ける。これは僕の勝手な予想だが、真っ赤なスポーツカーに乗る人の6割はシャアに憧れている。ずんずんと他の車たちを追い抜きながら、「通常の3倍だ!」と言っているに違いない。少なくとも僕は真っ赤なスポーツカーに乗ったらまず最初にそれを言う。

大人になった今、「素早さ」を手に入れるためには速い乗り物に、それも真っ赤なスポーツカーに乗れば手に入るのだと分かった。子供の頃から憧れていた「素早さ」という夢がそこには詰まっている。

ただ、それを実現させるためにはまず「財力」というステータスを目一杯上げなくてはならないが。今日もまた「空しさ」のステータスだけが上がっていく。