貼れないカイロと貼らないカイロ

今日の朝はとても寒かった。

昨日までは寒いながらもほんの少し春の陽気のようなものを感じていたが、打って変わってまた耐え難い寒さだった。おまけに雨も降っていた。冬の寒さと雨の冷たさで空気は冷えに冷えていた。

おかげで今朝は腹の調子が悪かった。腹を温めるためにコンビニでカイロを買うことにした。貼るカイロから、靴に仕込むカイロ、様々なカイロがあったが、そこに「貼れないカイロ」という見慣れない言葉の書かれたカイロがあった。

 

「貼れないカイロ」?

 

今日、南国あるいは熱帯から日本に来日した方以外はご存知だと思うが、基本的にカイロ(今日来日した方用に書いておくと、カイロというのは不織布の中に黒い粉のようなものが入っていて、空気に触れると温かくなるシロモノである)というのは大きく分けて二種類存在する。裏面が粘着テープのようになっていて衣服に貼ることができる「貼るカイロ」と、粘着面のない「貼らないカイロ」だ。

 

この、「貼らないカイロ」の名前が「貼れないカイロ」になっているのだ。僕が知らないだけで、案外「貼れないカイロ」という名前で流通しているものもあるのかもしれない。しかし、同じ粘着面のないカイロだとしても、「貼らない」と「貼れない」とでは受け取るメッセージが違う。英語で言えば「DO NOT」と「CAN NOT」の違いだ。

 

「貼れないカイロ」。彼は確かに貼るカイロと比べて、貼れないという欠点がある。それに後ろめたさを感じているように思える。「貼らないカイロ」はそんな後ろめたさなどはとうに忘れ、「自分は自分っす」というような意思を感じる。だが、それは決して「諦め」の意思表示ではない。ペンギンは「飛べない鳥」だが、だからといって「飛ぶ鳥」より劣ってはいない。彼らは水中を自由に泳ぐことができる。「貼れないカイロ」だって、貼れないからこそ、ポケットに入れることができるし、握って手を温めることもできる。彼らは貼れないからこそ、自由に動き回れるのだ。

 

だから「貼れないカイロ」なんて、まるで貼れないことがコンプレックスだと言っているような、そんな言い方をしないでほしい。君には君の良さがある。けれど、まだそれに君自身が気付いていないだけなのだ。貼れなくていい。むしろ貼れないから良いのだ。貼れないからからこそ活かせる君の持ち味を大事にしてほしい。次の冬に、そのことに気付いて「貼らないカイロです!」と胸を張って堂々としている姿が見れることを祈っている。

 

と、思いながら僕は「貼るカイロ」を買った。冷えた腹に貼りたかったからである。それとこれとは話が違うのだ。