いつもより熱い湯に浸かって
寒い日が続く。
特に今週末の寒さは「急に本気出し過ぎだろ!」冬にツッコみたくなるくらい寒い。朝、地元の温度計を見たら-9℃と表示されていた。ちっちゃいシベリアか。こうも寒い日ばかりだと銭湯に行きたくなる。
僕は銭湯が好きだ。カバンにはいつも銭湯セットが入っていて、常時銭湯態勢だ(戦闘と銭湯をかけている)。誰かと待ち合わせ中、1時間くらい時間があると、近くの銭湯へひとっ風呂浴びに行くほどである。
銭湯の良さというのは、そこに向かう時からスタートしている。銭湯の所在地を調べると住宅街の真ん中にあったりする。知らない住宅街を歩くというのは異世界をふらふらと彷徨っているようで楽しい。ただ、あまりふらふらとしていると不審者と思われそうなのでそそくさと目的地である銭湯に向かう。
番頭さんに入湯料を払い中に入る。銭湯の中には色々な人がいる。住宅街の真ん中にある銭湯は日常的な風呂として使っている人がほとんどだ。だからまるで他人の家の風呂に入っているかのような、そんな緊張感がある。身体を流す時に飛沫が飛ばないようにそっと湯をかけたり、自分が使った洗い場は泡一つ残さないように綺麗にする。あと、使った椅子はちゃんと元の場所に戻す。こうも神経質にする理由は一度常連と思われる「銭湯おじさん」に注意されたことがあるからだ。
こうも気を遣ってばかりだと「銭湯ってなんか窮屈だなあ」と思われてしまうかもしれない。そう、窮屈なのだ。湯船に浸かるまでは。
身体を綺麗に洗い、いよいよ湯船に足を入れる。熱が足先から全身に伝わる。家の風呂より数段に熱い。そして肩まで浸かる。するとどうだろう、先ほどまでの窮屈が嘘のように開放的だ。極楽だ。思わず声が出そうになるが他の人もいるのでぐっと押し殺す。この瞬間が何よりも好きだ。だから気を遣いまくろうが銭湯に通う。通いまくる。
僕が特に好きな銭湯が大須にある「仁王門湯」だ。人生で初めて行った銭湯だからというのもあるが、大須に行くとたいてい浸かりに行く。この仁王門湯だが尋常ではないほど湯の温度が熱い浴槽がある。どのくらい熱いかというと熱すぎて逆に氷を触った時のような痛みを感じるほどだ。いったい何度あるのだろう。一度沸騰させていると言われても信じてしまう。友人と行くと「今日こそはいけるんじゃないか」とチャレンジするが3秒入れれば良いほうである。一度3秒以上入ったことがあるが、首から下が真っ赤に茹で上がってしまった。
朝-9℃と表示されていた温度計は夜になった今見ると-4℃になっていた。朝から晩までちっちゃいシベリアが続く。これだけ寒いと「今日こそは仁王門湯、いけるんじゃないか」と危ない考えが頭に浮かぶ。絶対にまた真っ赤に茹で上がるだけだ。ただ、そうなるまで熱くなった後に飲むキンキンに冷えたコーヒー牛乳が何よりも旨いのだ。一気に飲み干すと、喉は冷たいのに心が温かくなるような、そんな気がするのだ。
もし地獄が極寒の地ならば、天国は銭湯の形をしているのかもしれない。
神様のささやき
僕には感謝しなくてはいけない人がたくさんいる。まずは父母、祖父母。ここまで育ててくれてありがとう。お世話になった先生、友達、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。他にもたくさんいるが、今日感謝したい人はずばり「ゴボウが食べられると気付いた人」である。本当にありがとう。あなたのおかげで僕は幸せです。
僕はゴボウが好きだ。きんぴらごぼうはもう定番中の定番。ごぼうサラダも好きだ。ごぼうの唐揚げ、もはや居酒屋のメニューはこれだけでいいのでは?と思ってしまうくらい好き。セブンイレブンに一時期ごぼ天うどんがあった時は毎日食べていた。なくなった途端、この世界はほんの少し寂しくなった。あ、ゴボウの入ったハンバーグも大好き……と、いう感じでごぼうが好きだ。だが、ゴボウのビジュアルを思い浮かべてほしい。「根」である。これが食えるとは到底思えない。よく食べようとチャレンジしたものである。しかし、そのおかげで僕は幸せなGOBO-LIFE(ゴボウを食べて幸せを噛みしめる生活のこと)を送れているわけだ。感謝しなくてはならない。
ゴボウに限らず、「よくチャレンジしたな」と思う食べ物がたくさんある。ジョジョのプッチ神父も「最初にキノコを食べたやつを尊敬する」と言っていたが、まさにその通りだろう。僕らは食べられると知っているから食べているが、僕がもしシイタケを初めて見たら口に含もうとは思わない。触っても何かかぶれそうだからそっとしておくと思う。
もしかすると、ゴボウやシイタケを初めて見た人達は神様に耳元でこう囁かれたのかもしれない。
「これ、食えるで」と。
レンコンを見た人にも囁いただろう。「これな、穴だらけやけどな、めっちゃ美味いで」と。ウニを見た人には「自分食えへん思ってるやろ、中開けてみ?ちびるで」とちょっとワクワクしながら囁いたに違いない。神様何弁だよ。あと多分囁いていない。きっと多くの試行錯誤の末に食べられることが分かったのだろう。シイタケもレンコンもウニも好きなので感謝である。
ただ、どうしても何故食べられると思ったのか分からない食べ物がある。石川県の郷土料理である「フグの卵巣の糠漬け」である。本来猛毒のあるフグの卵巣をなんやかんやする※詳しく知りたい方はhttps://goo.gl/GDRx93と、毒が消えるというのだ。しかも何故消えるのか分からないという。フグの卵巣を初めて見た人に神様は「あかんあかん、それ毒あるから食べたら死ぬで」と囁いているはずだ。にも関わらず食べようとした。多分、糠に漬け出したあたりで「え?なんで??なんで食べようとするん??毒やで??言うたやん??やめとき???」と再度囁いたに違いない。最初よりも大きな声で。神に欺いた食べ物である。
そんなフグの卵巣の糠漬けがなんと!!本日!!こちらに!!……ないのである。残念。いつか石川まで行き、神の水(日本酒)と共に頂いてみたい。あ、石川県には沢野ごぼうなんてゴボウもあるのか。食べてみたい。
石舟浮上せり
高校の頃の話である。僕は日本史の授業が好きだった。日本史自体が好きだったわけではなく、先生がたまに話してくれる「こぼれ話」が好きだったのだ。
印象に残っているのが最澄と空海の話である。ある日、最澄が空海というやばい坊さんがどんなやつかを確かめるために、一番可愛がっていた弟子(美男子)を空海の元へ送り込む。ところがその弟子は空海に惚れ込んでしまい、帰ってこなくなってしまった。最愛の弟子を取られてしまった最澄は、その弟子に向けて「頼むから帰ってきてくれ」と何度も手紙を書いたそうだ。その手紙が今国宝になっている……という話である(今調べたら久隔帖[きゅうかくじょう]と言うらしい)。
…こういうこぼれ話ばかり覚えていたので肝心な授業内容を全部忘れてしまい、テストは毎回散々だった。しかし、こぼれ話だけはこうして今でも覚えている。そのくらい日本史の授業が好きだったし、なによりも先生が好きだったのだ。
ある日、先生が授業中にこんなことを言った。「実は俺、小説家もやってるんだが、この間出版社から自分の小説が手元に返ってきた。欲しいやつは俺のところまで来い!サインもしてやるぞ!」と。
なんと先生は小説家だったのだ。一瞬にしてリスペクト値(尊敬の念を数値化したもの)が上がった。僕はその日の昼休みに先生のところに本を貰いに行った。いつもはよく喋る先生だが、本を渡す時は何も言わなかった。(今思うとあれはカッコつけていたのだろうか)
「あの、先生、良ければサインを…」
ちょっと恥ずかしかったが、勇気を出してお願いした。すると先生はその本に黙って、
「石舟浮上せり」
と書き、机から自分の名前が彫られた大きな判子を出してその下に押した。
か、カッコ良すぎる…僕のリスペクト値を測るスカウターが爆発した瞬間だった。「石舟浮上せりって何〜〜??その判子何〜〜??かっこいい〜〜!!」と。僕はサイン本を胸に抱きかかえ、教室に返った。
さて、その肝心の小説なのだが……うーん…なんと言えばいいのだろう。なんか女と男がフィンランドだったかノルウェーだったかに旅行へ行くというストーリーだった。が、当時の自分にはいまいちピンと来なかった。
……いや、もうはっきり言ってしまおう。クッッソつまらなかったのだ。冒頭で明らかに先生自身をモデルにした人物が出てきた時点で読むのをやめてしまった。
当時、出版社から自分の手元に本が返ってくる本当の意味を知らなかった。先生は小説を自費出版したが、全く売れなかったので借金まみれだった…と高校を卒業してから知った。「石」の「舟」ではなく「火」の「車」だったのだ。
今、「石舟浮上せり」と書かれたその本は、実家の押入れという、暗い海の底のどこかに沈んでいる。
NO MORE CABBEGE.
居酒屋で許せないのが「キャベツのお通し」である。
そもそも、このお通しという制度もよく分からない。日本に来た外国人が困惑するというのも無理はない。ましてやそこに生のキャベツが出てきたなら、国際問題に発展してもおかしくないのではないか。「ジャパンノエコノミックアニマルハナマキャベツポリポリ〜デス」と。
ところが、よく居酒屋に一緒に行く友人達は皆この生キャベツが好きなようで、出された瞬間に食べ始める。ポリポリと前歯でかじるその姿を見て毎回「ウサギみたいだな」と思いビールを飲む。これがお決まりパターンである。
逆に「良いお通し」とは何か。ちょっとした煮物なんかだと嬉しくなる。いつぞやどこかの居酒屋で出たいか明太も美味しかった。枝豆なんかもわざわざ注文する必要がなくて良い。というか、生のキャベツでなければいっそ柿の種が出てきても良い。生のキャベツ以外のものがお通しで出たのなら、その日の飲み会はそれだけで楽しいものになるのだ。
この生キャベツ、たまに良心的な店だとおかわりが出来たりする。僕は一切手をつけないので、友人達がポリポリと食べ進め、なくなった頃におかわりをするシーンがよくある。その頃には焼き鳥や唐揚げなど魅力的な料理が届いているのだ。なのに何故また味気のない生キャベツをおかわりするのだろう。そうしてまた僕らの目の前に山盛りになった生キャベツが届く。またポリポリと食べ始める。「あれ、小島さん食べないんですか?」と聞かれることもあるが、「誰がそんな味気のないものでビールが飲めるのか!」とは言えない。場の空気が悪くなるからだ。「いや、食べて食べて」と促す。そうするとまたポリポリが始まる。それを見ながら二杯目のビールを飲むのだった。
そんな光景をよく見ていると、ふとあることを思った。キャベツをポリポリと食べるあの姿というのはとても無防備である。最初は丁寧に箸で食べていたものも、途中で面倒になったのか素手でキャベツをつまみだす。あまりにも無防備だ。だが、お互いに気を遣わず、分け隔てなく打ち解けるのが楽しい飲み会なのだとも思う。例えば、普段接しにくい人と飲みに行き、その人が素手でキャベツをポリポリと食べる姿を見たのなら、その後の見え方もちょっと変わってくるのではないか。茶室の入り口が低くなっているのは、入り口で頭を下げながら入ることによって、茶室の中にいる人は皆平等なのだという意味があると聞いたことがある。生キャベツも同じような意味があるのかもしれない。ポリポリと齧りあえば、皆平等なのだ。
とはいえ、だ。僕はこれからもお通しのキャベツに手を出すことはない。例えそれが二十億光年に続く孤独の始まりだとしても、食べることはないだろう。ひずんだ宇宙の片隅で、僕は自分の信念を叫び続ける。
NO MORE CABBEGE.
側から見れば乳首を愛撫している
他人は自分が思うほど自分のことを見ていないと人はよく言う。
確かに、今僕はこの記事を電車を待ちながら書いているのだが、今この場で髪の毛をむしり「お昼ごはんが少なかっただけですから!!お昼ごはんが少なかっただけですから!!」と叫びながら食べるなんてことをしない限り、僕のことを見る人はいない。こんなことを書いている間に電車に乗ったが、電車内で自分の姿を見た人はただスマホをいじっている人としか思わないだろう。
しかし、そうは言っても他人の目というのは気になってしまう。ただスマホをいじっているだけなのに女子大生あたりに写真を撮られ「電車にキモいやついたwww」とTwitterにつぶやかれるのではないかと不安になってしまう。
特に他人の目が気になる瞬間がある。それは自分が何か恥ずかしい「やらかし」をしてしまった時だ。階段ですっ転んだり、イヤホンと腕が引っかかり耳からものすごい勢いでイヤホンが飛び抜けた時、僕は背中に嫌な汗が流れるのを感じる。
「今の瞬間、誰かに見られたのではないだろうか…笑われたんじゃないだろうか…」
そんな不安が脳内を駆け巡るのだ。
僕は仕事柄、スーツを着用する。その際、胸ポケットにボールペンをしまっていることが多いのだが、よく胸ポケットにボールペンが刺さっていないのにボールペンを取ろうとしてしまう時がある。するとどうなるか。側から見ればまるで左乳首を下から上へサッとひと撫でしたようになるのだ。この「やらかし」が一番恥ずかしい。
皆仕事に集中しているので見ていないとは思う。しかし、万が一見られていたとしたら。
「うわ、あいつ職場で乳首愛撫してやがる」とか「妖怪職場乳首愛撫変態男」と思われても仕方がない。場合によっては今後の関係に支障をきたすかもしれない。職場で乳首をそっとひと撫でしてるやつなんかと仕事ができるわけがない。
だから僕は乳首をひと撫でしてしまった時、自分史上一番キリッとした表情をしている。「ご安心ください。今のはボールペンがあると勘違いしただけであって乳首を瞬間的に愛撫したわけではありません。今後とも僕とビジネスライクに良好な関係を築いていきましょう」と祈りながら。その顔は、社内の誰よりもビジネスマンだ。
というか満員電車の中で「乳首を愛撫」とか書いている方がよっぽど怪しいな。この辺で失礼します。
友達が「オモコロ杯」のためにおしっこを飲んだり食べたりした話
【閲覧注意】
この記事はマジでタイトル通り友達(成人女性)がおしっこを飲んだり食べたりします。
お食事中の方、おしっこが苦手な方、おしっこアレルギーの方は自己責任で閲覧ください。
ある日のことだった。その日は冬とは思えないくらい外の日差しがあたたかく、早すぎる春の訪れを感じる日だった。仕事が休みだった僕はそんな外の陽気にも関わらず家でゴロゴロしていた。すると大学時代の友人、中岡まゆからこんな連絡が来た。
暇は暇である。現にその時はYouTubeを観ていた。だが、時刻はもう夕方。今から外に出るのはちょっと面倒くさい。おそらく飯でも行こうという誘いだろう。彼女には申し訳ないが、今日は遠慮しておこうと少し時間を置いて返信をした。
ん?
「尿を飲んでいるところを写真に撮ってほしい」?
何を言い出すんだ急に。この陽気で気が変になったのか?
僕も訳が分からず「新鮮な方がいい」という意見に同意してしまったし。知らないよ。尿は尿だろ。
が、僕には一つ思い当たるふしがあった。嫌な予感がした。
当たった。「オモコロ杯」である。
「オモコロ杯」とはインターネットメディア「オモコロ」が主催する「インターネットでおもしろい記事や漫画を発表して、たくさん褒められたりする大会」のことである。
僕は高校生の頃からずっとオモコロを見てきた。たしかオモコロを中岡に勧めたのも僕だ。そのオモコロの大会に尿を飲むことでエントリーしたい・・・ということらしい。もっと他にあるだろ。なぜ飲尿をチョイスした。なんなら何年か前に別の人がやってたぞ。
オモコロを勧めた僕もどこか責任を感じたため、仕方なく待ち合わせ場所に向かうことにした。
待ち合わせ場所のグラウンドに行くと彼女はど真ん中に立っていた。遠い。
まゆ「LINEでも言ったけど、今日は尿を飲むので写真撮って欲しいんだよね」
僕「本当にやるの…?」
まゆ「やる」
やるのかあ~~
まゆ「ちょっとじゃあ出してくるわ」
といってわかりやすく便所と書かれているトイレに向かう中岡。コップを持っているとドリンクバーにでも行くのか?という感じであるが、そのコップに注がれるのは自身の身体から出る排泄物である。
しばらく待つ。異様に静かだ。人が尿を出しているのを待つ時間というのはこんなにも静かなのか。
・・・もしかして尿意が無いんじゃないか?
だったら早く帰ろう。ガストにでも行こう。普通にドリンクバーを頼もう。メロンソーダとコーラを混ぜてメロンコーラとか言ってたあの頃に戻ろう。
ガチャ
扉が開く音がした。
何笑ってるんだよ。
まゆ「『人前で尿を出す』ということと『今からこの尿を飲む』という通常では考えられない状況についていけず、自分でめちゃくちゃ笑っちゃってる 」
僕「そりゃそうだ」
中岡いわく「最初と最後は菌が入りやすいと授業で習ったので、ちゃんと中間の尿を取った」とのこと。(言い忘れたが彼女は現在看護学校に通っている)
学んだことを最低の形で生かすな。
コップを覗くとそこには金色の液体が満ちていた。尿である。
思えば他人の尿をリアルで見るのは初めてだった。親の尿でさえ見たことが無い。
まゆ「寒かったからあったかくて嬉しい」
よく見ると指先の血行が良くなって赤くなっている。
尿で暖をとるなよ。
近くで学校帰りであろう子供達が楽しそうにグラウンドを駆けている。今から行われる狂気が信じられないほどに平和だ。
まゆ「・・・」
僕「どうした遠くを見つめて」
まゆ「あの子たちがいなくなってからにするわ・・・」
尿を飲むところを子どもたちに見られたくないようだ。良識はあるらしい。
君たち、このお姉さんはね、今から尿を飲むんだよ。
子どもたちは僕たちのことなど気にも留めず、どこかに走り去っていった。
まゆ「じゃあ、いっちょ・・・いただきます」
尿入りのコップを口に近づける中岡。果たして・・・
(においを嗅ぐ中岡)
ダメだったらしい
辛そう。もしや泣いてるのか?
えづきながらも何度も挑戦する中岡。
何度もコップを口元に運んではためらっている。
僕「泣いてない?大丈夫?」
まゆ「いや、大丈夫・・・じゃあ今度こそ・・・いただきます」
ついに尿を飲む中岡。果たして・・・
だろうな。
あ!
どこに行く!?
まゆ「馬鹿」
何に対しての馬鹿だ。
まゆ「こんなもの飲むヤツは馬鹿」
中岡が言うには「思ったよりもしょっぱさとえぐみがスゴイ」らしい。
たった数分の出来事であったが、今年いっぱい脳みその裏に焼き付くであろう瞬間だった。
尿は飲んだ。よくやったよ。誰も褒めないだろうけど、俺は褒めたい。だから早く帰ろう。
まゆ「まだ・・・やる・・・」
なんだと
まゆ「そもそも私は高校の頃から『おしっこをキンキンに冷やしたら味覚が鈍ってゴクゴク飲めるんじゃないか?』ってずっと疑問に思ってるから、それを解決したい」
ん?
「おしっこをキンキンに冷やす」?
キンキンに冷やすことによってゴクゴク飲める?
・・
・・・
無理だろ。
ちなみにこの「おしっこをキンキンに冷やしたら味覚が鈍ってゴクゴク飲める説」は、オモコロの「匿名ラジオ」で取り上げてもらったらしい。そして、「オモコロ杯」もあるし、いい機会だからやってみよう!イエイ!ということで実行に至ったそうだ。(ちなみに、ラジオでは「おしっこは罪だから飲んじゃダメ」という結果で締めくくられていた。罪深い女である)
僕「じゃあ何で直で飲んだんだよ」
まゆ「常温では飲めないことを確認したかった」
僕「分かりきってたことだろそれは」
まゆ「じゃあ、また連絡するわ」
そういって中岡は帰っていった。仕方が無いので僕も家に帰ることにした。
尿も元あるべき場所へ帰っていった(トイレに流していた)
帰宅後、夕飯を済ませて今日の写真を一人見返していた。
マグカップについだお茶が尿に見えてきて、なんだか嫌な気持ちになる。
そんなことを思っていると中岡からビデオ通話の着信があった。
もう持ってるな。
いらんことは行動が早い。
僕「そう言えば思い出したんだけど、さくらももこのエッセイに『尿は冷やすと余計えぐみが出てまずい』ってあった気がするわ」(たしか『さるのこしかけ』だったと思うが、飲尿健康法の話が出てくる)
まゆ「でもそれはさくらももこの尿が冷やすとえぐみの出る尿であっただけで、一般的にはそうでないかもしれない。少なくとも私の尿には冷やすとえぐみがなくなって飲めるという可能性がある」
さくらももこに対してめちゃくちゃ失礼なことを言うな
飲み方としては尿(新鮮)に氷を入れる「尿ロック」だった。画面越しに氷が浮かんでいるのが見える。
尿ロック。果たしてゴクゴク飲めるのだろうか。
まゆ「あ~~」
まゆ「無理だったわ」
僕「 だろうな。」
予想通りの反応に笑ってしまった。
まゆ「でも、ストレートに比べると飲みやすい」
僕「まじかよ」
これは後に調べて分かったのだが、飲尿健康法初心者はまず氷を入れて飲むのがいいそうだ。氷が溶けて尿が薄まるかららしい。一生やらないけど。
僕「疑問は解決できた?」
まゆ「できた。おしっこはキンキンに冷やしてもゴクゴクは飲めない」
結論:
おしっこはキンキンに冷やしてもゴクゴクは飲めない!
僕「(結論見えてたけど)疑問が解決できてよかったね。じゃあ記事にまとめるか」
まゆ「いや、まだやる」
僕「えっ」
まゆ「もっと美味しくできる方法を考えてみる」
長年疑問に思い続けてきたことが解決したと思ったらまだやると言い出す中岡。
僕「ストイックが過ぎる」
まゆ「また連絡するわ」
そういって通話が終了した。
僕は風呂に入ることにした。入浴剤の色が黄色で尿の風呂に入っている感じがして、とても嫌な気持ちになった。
風呂から上がると中岡から写真が届いていた。
カップケーキか。いいじゃないか。
そう、中岡は尿を飲みたいなどと頭のおかしいことを言う節があるが、趣味はお菓子作りという至って普通の女子なのだ。きっと気晴らしに作るのだろう。
ん?
何だこの液体は。
聞くのはやめた。というか無視した。
無視していたら追撃が来た。
できたらしい。悪魔のようなカップケーキが。
次の日。昨日の快晴が嘘のように、朝から雨が降っていた。ただ気温が高いからかムッとした空気が流れる。今から尿入りのカップケーキを見せられる僕の心境を表しているかのようだった。
まゆ「待ってたよ」
待ち合わせ場所に行くと中岡はもういた。
サイゼリヤの天井のような傘をさしている。
カップケーキの入った箱には「毒」と「食べたらしぬよ」書かれていた。
かわいらしいドクロの絵まで描いてある。毒と分かっていて何故食べようとする。
まゆ「でも、見た目では尿が入ってるって分からなくない?」
僕「まぁ確かに・・・」
見た目は可愛い。インスタ映えしそうなお菓子である。毒だけど。
※ちなみに制作中の写真を見せてもらったが、本当に尿を混ぜている上にかなりパンチの効いた写真だったので割愛します。
まゆ「実は今日、カップケーキに合うと思ってコーヒーも入れてきたんだ~」
僕「えっ」
言葉を失った。まさかこのコーヒーは・・・
まゆ「コピ・ルアクだよ」
(※コピ・ルアクとはジャコウネコの糞から採れる超貴重なコーヒーである。
要するにジャコウネコのウンコのコーヒーである)
尿入りカップケーキとウンコのコーヒーってもう下ネタの際(きわ)じゃねえか。
しかし僕は少しだけ安堵していた。
僕「尿でドリップしたコーヒーだと思った・・・」
まゆ「そんなことするわけないでしょ!!」
僕「そんなことしかねないから思うんだよ」
もうどこにも「常識」なんてものはなかった。
(相変わらずにおいを嗅ぐ中岡)
まゆ「においはまったくしない」
僕「チョコレートのところだからじゃない?」
とは言え、昨日よりはだいぶマシなようだ。
まゆ「じゃあ、いただきます!」
果たしていけるのか・・・
あれ?
もしや意外といけるのか?
まゆ「あー・・・」
ダメだったか。
まゆ「とっても美味しいで~す♡」
僕「嘘つけ」
盛大に吐いてたじゃねえか。
まゆ「いや食べれなくはないけど、やっぱりほのかにしょっぱさとえぐみがあるし、尿が入ってると思うと飲み込むのに勇気がいる」
どんなに頑張っても尿味(にょうみ)は消えないようだ。
まゆ「勇気を出せばいけなくはないかもしれ・・・」
ペッ
いけねえじゃねえか。
その後ウンコーヒーを飲みつつ食べ進める中岡。
彼女は今、おしっこを食べ、ウンコを飲んでいる。
まゆ「慣れてきたわ」
尿味に慣れたという中岡。その後バクバクと食べ始めた。
そして
完食。
食いきった。マジでよくやったよ。
結論:
おしっこはキンキンに冷やしてもゴクゴク飲めないが、カップケーキにすると慣れればいける!
・
・・
・・・
まゆ「はい、小島君にもあげるね」
あっ
まじか
もう一個あるんだ。
というか俺の分なのか。
人生最大の「ありがた迷惑」だ。いや、ありがたくない。ただの迷惑だ。
しかし・・・しかしだ。
僕には一つ、この数奇な体験を通して思うことがあった。
冒頭に出てきた「おしっこをキンキンに冷やしたら味覚が鈍ってゴクゴク飲める説」が紹介された「匿名ラジオ」。実は、「理想の友達を作り出せ!『親友』のコーナー!」という回だったのだ。架空の友達像を創り出すというこのコーナ、中岡は「『おしっこをキンキンに冷やしたら味覚が鈍ってゴクゴク飲めるんじゃないか』という疑問に対し『よっしゃ!やってみよう!』と言ってくれる人が親友の条件です」と言っていた。
※そのシーン:https://youtu.be/tnzERvDS8hE?t=11m37s
その『親友』って僕のことじゃないだろうか。
「こんな理想の友達、いるわけないよね」という気持ちで書いていたのかもしれない。普通、おしっこをキンキンに冷やして飲みたいと打ち明ければその時点で友達は霧のように消えていくだろう。
中岡は僕のことを親友だと思ってくれている。はず。
僕も自分のことを親友だと思ってくれる人を大事にしたい。
他ならぬ親友の頼みを、断るわけにはいかない。
親友を裏切ることは出来ない。
スッ…
ダッ!!
いや食えるかい!!!!
普通に考えて!!!!!
尿ケーキなんて食えるかい!!!!!
バーカ!!!!!
でも一つだけ分かったことがある。
尿を見せたり
見せられたり、
そんなことが平気で出来る時点で・・・
僕らはもう・・・
〜おわり〜
もうひとつのカップケーキは結局本人が食べました。
あと、コーヒーは普通に美味しかったです。
尿を飲んだり食べたりした人:中岡まゆ
それを見て、文章を書いた人:小島えも