夏の終わりに、1982年の山下達郎と2014年の菊地成孔。そして100年後の中華そばと先週の私の体験。

夏らしいことをしましたか?と、この時期になると聞かれることが多い。ラジオでも、「夏らしいことしましたか」とオープニングトークで耳にすることが多かった。

なぜ、夏という季節だけ何かをしなくてはならないのだろうか?「冬らしいことしましたか?」と、聞かれることは少ない気がする。聞かれたとするならば「鍋を食べました」くらいしか答えることがない。が、別に鍋は夏に食べたっていい(『鍋を食べました』というと陶製あるいは鉄製の鍋をかじり、咀嚼する行為と思われがちだが、『鍋』とは『鍋料理』のことであり、寄せ鍋、キムチ鍋、水炊き、など多種多様な種類がある。豚肉や牛肉などを鍋にする際は『灰汁』というものが浮いてくるので、こまめに取らなければならない。また、『鍋を食べました』と言って『お前鍋かじったのかよ』というやつが取っているのは『灰汁』ではなく『揚げ足』である。加えて、冬に行われるイベント『クリスマス』では『揚げ足』ではなく『焼き足』、つまり鶏の足を焼いたものを食べるのが一般的であるが、テレビCMでは『揚げ足』を食べるように促している。この文化は日本だけで、ファストフードとして『揚げ足』を食べる文化圏の方から見ると、わざわざお祝いの日に列を作ってまでファストフードを食べるという風景が滑稽である、と聞いたことがある。日本のファストフードと言えば寿司、になるのだろうか。が、お祝いの日に寿司を食べることは普通のことである。また冬らしいことを連想するにあたり、『クリスマスパーティー』や『スノーボード』などが出てこないあたり、私の寂しい交友関係が明るみになってしまったことは言うまでもない)。夏らしいことと言われて思い浮かべるのは、スイカを食べたり、海で遊んだり、花火を見たりすることだろう。今年は未だ蔓延する病気のせいで、どれもすることはなかった(そもそもすいかが苦手なので、私の中ではすいかを食べる=夏ではない。すいかを見る=夏、ではある)。ただ暑い日差しとウィルスを避け、クーラーの効いた部屋に閉じこもる夏であった。

夏の終わり、というとあるラジオの一節を思い出す。あまりにも名文、名口上なので、何度も聴いてしまう。菊地成孔氏の「粋な夜電波」第170回の前口上である。氏の語る言葉は難しく、解釈にばらつきが出るだろうが、この前口上を聴くたびに「夏に何を感じたか」を考える。仕事中にラジオから山下達郎の「SPARKLE」が流れると、約40年前に作られたとは思えないほどの弾けるような瑞々しさを感じる。夏は山下達郎だけを聴いていたいとさえ思える。ただ、この瑞々しさは恐らくこの曲ができたその時から変わらずに続くものなのだろう(氏も前口上にて同じことを言っている)。ラジオから山下達郎が流れた夏は、1982年であり、1992年であり、2021年であり、2182年でもあるのだ。ボロボロの中華料理屋で食べる中華そばも、開店当時から今まで味が変わらないということは『昔ながらの中華そば』ではなく、『未来からの中華そば』でもあるのだ。途端に、澄んだスープに黄金色の麺、少しのメンマにチャーシューが一枚乗ったこの食べ物が宇宙食にも見えてくる(それは言い過ぎか)。

夏らしいことをしましたか、と聴かれれば特に挙げることもないが、私にとっては「菊地成孔の前口上を聴きました」ということがせめてもの夏らしいことだろうか。前口上の最初は「この夏はどうだった?」という言葉から始まる。今年の夏、厳密に言えば先週、仕事をしていたら足に刺激的な痛みを感じ、驚いて足元を見ると一匹の蜂が飛んでいった。山の中で生まれ育ち、一度も蜂に刺されたことがなかったにも関わらず、大都会東京の、しかも室内で、もっと言えばその日家に二足しかない『くるぶしソックス』を履いて行ったばかりに、蜂に刺されたのだ。

『2021年夏、上京して初めて蜂に刺された』と、菊地成孔氏に伝えれば、きっとこう言うだろう。

『大いに結構』

 

https://youtu.be/UEloQm_RK5c