「素早さ」への憧れ

もし、現実世界にRPGのようなステータスがあったとしたら、迷わず「素早さ」を上げる。

「攻撃」のステータスを上げに上げ、拳一つで岩をも砕けるようになった人も、その拳が当たらなければ意味がない。ガンダムでシャアの操縦する「シャア専用ザク」も、通常のザクの3倍も機動力があり、強力なガンダムの攻撃を「当たらなければどうということはない」と身軽にかわしていた。とてもカッコいい。

「防御」のステータスを上げに上げ、たとえ岩が落ちてきても、逆に岩が砕けるほど硬くなった人の周りを「素早さ」に全振りしている僕はぐるぐる回っている。ものすごいスピードで。彼はただ丸くなっているだけだ。

思えば小さい頃から「素早さ」というものに縁がなかった。50m走も10秒の壁を越えることができず、足の速い同級生がキャーキャー言われながらリレーを走っている姿を眺めているだけだった。

なぜ、あの頃は「足が速い」だけであんなにもかっこよく、そして偉く、そしてモテたのだろう。これは人間の中に残る動物的な本能なのかもしれない。足が速いオスは狩りをするのが上手い。安定した食料供給が保証される。だからモテる。足の遅い僕はただ屍肉を食らうしかない。それが無くなれば、ただ餓死するのを待つだけだ。

足が遅いのであまり外で遊ぶのが好きではなかった。だから昼休みには教室で絵を描いたり、本を読んだりしていた。ステータス的には「知能」が上がっていそうだが、そこまで頭も良くなかった。ただただ「根暗オタク」のステータスがぐんぐん上がるだけだった。

そういう過去もあって、「素早さ」に憧れがある。速ければ速いほど良い。あまりの速さに「スピードの向こう側」へ行ってしまうほど、素早く動いてみたいと思う。

全ての男がそうではないと思うが、基本的に男というのは「素早さ」に憧れを持つ生き物なのではないだろうか。前述した、まだわずかに残る先祖の記憶がそうさせているのかもしれない。

もちろん、自分の身体には限界があるので道具に頼らざるを得ない。要するに車やバイクなど、速い乗り物に乗るのだ。真っ赤なポルシェに乗り、緑の中を走り抜ける。これは僕の勝手な予想だが、真っ赤なスポーツカーに乗る人の6割はシャアに憧れている。ずんずんと他の車たちを追い抜きながら、「通常の3倍だ!」と言っているに違いない。少なくとも僕は真っ赤なスポーツカーに乗ったらまず最初にそれを言う。

大人になった今、「素早さ」を手に入れるためには速い乗り物に、それも真っ赤なスポーツカーに乗れば手に入るのだと分かった。子供の頃から憧れていた「素早さ」という夢がそこには詰まっている。

ただ、それを実現させるためにはまず「財力」というステータスを目一杯上げなくてはならないが。今日もまた「空しさ」のステータスだけが上がっていく。

地球人には無い発想

高校生の頃の話である。

その日は何かの都合で授業がなくなり、自習となった。と、言っても集中している人は少なく、各自話したり、寝たり、好きなように過ごしていた。先生がいないのでほぼ無法地帯である。

すると、クラスの中でもひときわ声の大きいTくんがこう叫んだ。

 

「電子レンジってのは宇宙人が作ったんだよ!!」

 

騒がしかったクラスもその一言でしんと静まり返った。まるで演説のように、彼の話は続く。

 

「電子レンジっていうのは電波で温めるじゃん!?そんなスーパーテクノロジー、地球人には思いつかないんだよ!最近、蒸気が出て温めるレンジが出てるけど、あれが人類の限界なんだ!!」

 

……電子レンジも蒸気で温めるレンジもおそらく人類が作った。だが、彼には電子レンジのスーパーテクノロジーが宇宙人からの贈り物に思えたのだろう。

確かに、僕も電子レンジの仕組みを詳しくは知らない。箱の中に料理を入れると謎の電波とか電子とかがが出て温かくなるという、当たり前のことも、何故そうなるの?と聞かれれば説明できない。僕の頭が足りていないというのもあるが。

 

「じゃあ宇宙人は地球にいるのかよ〜」

 

と誰かが言った。するとTくんはすぐさまこう答えた。

 

「原宿とかにさ、すっごい奇抜なファッションの人いるじゃん!?あの人たちは全員宇宙人なんだよ!地球人とは違うセンスをしてるから、あんな奇抜な服を着てるに違いない!!」

 

いや、その人たちも地球人だ。厳密に言えば、「他の地球人には思いつかないような奇抜なアイデアを持った地球人の作った服を着た地球人」だ。

それにTくんよ、宇宙人が地球にいるとして、「私は宇宙人です!」と言わんばかりの格好をするだろうか?たぶんしない。

 

だが、もしかしたら本当にTくんの言うように電子レンジを作ったのは奇抜なファッションをした宇宙人なのかもしれない。どちらも地球人の僕には、仕組みもセンスも思いつかないからだ。

この世の中には「どうしてこんなものを思いついたのだろう?」と不思議に感じるものがたくさんある。そのうちのどれか一つが本当に宇宙人の考えたものであっても驚きはしない。……嘘である。普通に驚く。

ともかく彼の言うことが正しいのなら、こうしていつも温かい料理が食べられるのも、アバンギャルドでエキセントリックな服が着られるのも、すべては宇宙人のお陰である。感謝したい。

 

…ちなみに、この話がずっと忘れられず、大学生のころ「地球に住んでいる宇宙人たちのファッションスナップ」というテーマでイラストを描き、一冊のZINE(自分で印刷、製本までした冊子のこと)を作った。

このアイデアをくれたのは、他でもないTくんだ。感謝したい。

あんなことを思いついた彼こそ、もしかしたら宇宙人だったのかもしれない。

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永遠と刹那の一秒で

アインシュタインが「相対性理論とは何ですか?」と尋ねられた時にこんなようなことを言ったそうだ。

 

「嫌な人といると本当は一分しか経っていないのに、感覚的には一時間経っているように思ってしまう。逆に、恋人といると本当は一時間も経っているのに、感覚的には一分ほどしか経っていないように思うでしょう。それが相対性理論です」

 

おそらくだが、相対性理論を思いついた時にいろんな人から「相対性理論とは何ですか?」と聞かれたのだろう。最初はまじめに答えていたが、「あ、これ誰も理解してないな」と気付いた時、こういう誰しもに分かるような例え話をするようになったに違いない(多分違う)。

ただ、この例え、もっと分かりやすく、ストライクど真ん中な例えができないだろうか。僕はできる。

 

「ウンコがめちゃくちゃしたくてトイレを待っている時、本当は一分しか経っていないのに、感覚的には一時間経っているように思える。逆に、待ちに待ってウンコをしている時、本当は一時間も経っているのに、感覚的には一分しか経っていないように思える。それが相対性理論です」

 

歴史に残る大発見をウンコに例えるな。

そして一時間もウンコをするな。

しかし、本当にめちゃくちゃウンコがしたい時にトイレを待っている時間というのは永遠に感じてしまう。

 

僕は何故か朝ごはんを食べると100%腹を壊す。朝起きて、ご飯を食べて、仕事に向かい、腹を壊してウンコをする確率が100%だ。

家から会社まで約一時間半ほどかかる。だいたい8時に家を出るのだが、決まって8時半から9時の間に猛烈な腹痛に襲われる。家に出る前は何ともないのだ。だから出る前にウンコをするという対策ができない。

「朝ごはんを食べなければいいんじゃないか?」と思って朝ごはんを抜いたことがあるが、お腹が空きすぎて気持ちが悪くなった上にきっちり腹も痛くなった。何なんだよ。何の刺激を受けているんだよ。

腹が痛くなる8時半から9時というのはまだ移動中である。つまり電車の中だ。電車の中で腹が痛くなることがほとんどだ。腹の中で戦争をしてるんじゃないかと思うくらい、めちゃくちゃ痛くなる。

そうなると、乗り換え駅のトイレで一旦ウンコをするのだが、このトイレが毎回満席なのだ。しかもなかなか空かない。そのため、毎回空くのを待つことになる。

このトイレが空くまでの時間が、ものすご〜〜〜〜く長く感じるのだ。待っている間にここまでの人生を二回は振り返れる。大した中身もない人生だが。

本当にもう限界になると、僕は神に祈る。もし神がいるのなら、毎朝8時半から9時に「なんか、猛烈に祈られてるな〜」と感じているはずだ。だが、祈ったところで腹痛は治らない。神はいない。

永遠とトイレが空くのを待っていると、ついに一つの個室から水が流れる音が聞こえてくる。僕はこの音を「福音」と呼んでいる。さっき「神はいない」と言ったばかりなのに。

空いた瞬間すぐさまトイレに入る。急ぎながら、しかし確実にズボン、パンツ(この時期はタイツも)を下ろす。そして……後は言うまでもないだろう。永く続いた苦痛から解放されるのだ。もっとも、いつも勢いがよすぎて、ものすごい吐き気に襲われるが。

トイレを我慢している時、永遠に腹痛という苦痛を味わっているように感じる。正反対に、解放の快感はほんの刹那である。

「本当はどのくらいの時間が経過しているのだろう」

毎朝、この永遠と刹那を繰り返しているとそんなことを思ったりする。

だから先日、実際に計ってみることにした。腹痛が始まりトイレに入るまでの時間と、解放しトイレから出るまでの時間を。スマートフォンのストップウォッチ機能で計る。本当にしょうもないことにテクノロジーを使っている。

 

その結果、

 

腹痛からトイレに入るまでの苦痛時間

体感時間:腹痛が始まってトイレに着くまでが

10分ほど、トイレが空くのを待っていた時間が15分ほど。

実際の時間:合わせて11分42秒

解放し、トイレから出るまでの時間

体感時間:3分くらい

実際の時間:7分25秒

 

……驚きの結果だった。かなり誤差がある。

苦痛を感じていた時間よりも、解放している時間の方に驚いた。あんなに一瞬に思えたのに、実はこんなに経っていたのだ。

相対性理論ってこいうことだったんですね……アインシュタイン博士……

 

明日もまた、同じ時間に腹が痛くなるのだろう。そしてまた同じように永遠と刹那の一秒間を感じる。いつもと変わらない、僕にとっての日常だ。

 

生まれ変わったら、腹痛のない朝を感じてみたい。

迷宮のクロスワード【解決編】

※前回をまだ読んでいないという方は、まず先にこちらを読んでください。今回はこの記事の続きです。→https://goo.gl/mVbnGh

 

 

……続きである。

前回、クロスワードの答えが分からず煮詰まっていたところで終わった。振り返るとこんな感じである。

 

       じ

       □ま

       しんどう

でい□ □

       □

       □

 

●ヒント

「じ□ん□」

→シューティングやアドベンチャーなど

「し□□□」

→超えてナンボ

「□ま」

→デック

「でい□□□」

→いろんな意味での交渉

 

書いていて思ったが、前回の記事の内容、凝縮すればたったこれだけである。 「実はめんどくさくて前回のやつ読んでないわ」という方、このまま読み進めてもらって大丈夫です。

考えても、考えても、何も分からない。むしろ考えれば考えるほど、この迷宮の中で迷子になってしまう。

相当悩んでいたので、いつしか父母や他の親戚も集まってきた。親戚一同に見守られながらゲームを進めていく…なんだこの状況は。サマーウォーズか?

一つ一つカギとなるヒントを読み返していく。やはり「デック」の意味が分からない……なんなんだよデックって。助っ人外国人選手か?だとしたらクロスワードパズルの問題としては間口が狭すぎる。

その時だった。ふとした閃きが脳味噌の中に浮かんだ。名探偵コナンのアニメでコナンが何かに気付いた時、頭に電流が流れるような、あの感じである。

目をつけたのは……「しんどう」である。

すでに親戚が埋めていた「しんどう」である。

ここのヒントには「頑張りすぎると◯◯◯◯で疲れちゃう」と書いてあった。それで「しんどう」と答えたようだ。

しかし、果たして「しんどう」で合っているのだろうか?「振動」「神童」「新藤」……どれも相応しくない。つまり、すでにこれが間違っていたのだ。

正解は……もうお分かりだろう。頑張りすぎると「これ」で疲れちゃう……そう、「反動」である。

と、なると、

 

           じ
           □ま
        はんどう

でい□ □
       □
       □

 

が正しかったのだ。

と、いうことは「は」から始まる「超えてナンボ」の四文字は……

 

……せーのっ

 

\ハードル/

 

はい、みなさん正解です。

 

そして「じ□□□」の一番最後の文字が「る」で確定する。「じ□□る」の「シューティングやアドベンチャーなど」を意味する言葉は……

 

…せーのっ

 

\ジャンル/

 

はい、お見事です。というかこれは最後の一文字が分からなくても分かるはずの問題だった。

 

これで全ての言葉が埋まった。お疲れ様でした。

……が、これで終われないのだ。このほかに分からなかった言葉が二つあったはずだ。「ハードル」と「ジャンル」が埋まったおかげで、自ずとこの二つの答えも出た。

これがそれである(©️横山裕一)

 

「□ま」
→デック

→答え:やま(山)

「でい□□□」
→いろんな意味での交渉

→答え:でいーる(ディール)

 

……ちょっと待て。と、一旦この二つの言葉を正座させたい。

まずは「やま」。お前からだ。調べたところによるとトランプなどの山札のことを「デック」と言うらしい……お前が「デック」というのを初めて知ったぞ。みんな、お前のことを「デッキ」と呼んでるはずだ。少なくとも20、30代の男子はみんな遊戯王デュエル・マスターズで山札のことを「デッキ」という。それを「デック」って…馴染みがなさすぎるわ!!

そして、「ディール」……

 

お前……

お前は………

 

………何?

 

これも調べたところによると「取引をすること、売買」という意味だそうだ。

……知らんわ!!

僕が無知なだけで、実は当たり前に使う言葉なのかもしれない。「これディールしといて〜」みたいな。イケてるビジネスマンなんかは頻繁に使うのだろう。「今日のディールはきつかったなあ」とか。

だが、仮に知っていたとしても「いろんな意味での交渉」と言われて「ディール」という単語が思い付くのだろうか?思い付く人はディールに一度抱かれているに違いない。ディールといろんな意味での交渉をした人間だ。

 

何はともあれ、クロスワードパズルを完成させることができた。

クロスワードパズル自体、とても楽しかったのでハマってしまいそうだった。親戚が持ってきていたのはコンビニや書店で買えるパズルの詰め合わせ本だった。どこかで見かけたら買ってしまいそうだ。

 

次に入る迷宮に、今回のような得体の知れない怪物がいないことを望む。

迷宮のクロスワード【事件編】

クロスワードパズルというものをやったことがあるだろうか。

おそらく、ほとんどの人がやったことがあるだろう。やったことのない人のために説明すると、四角く空いたマスの中にある特定のワードを入れていき、パズルを完成させるという簡単なゲームだ。タテのカギとヨコのカギがあり、それぞれが交差するところには同じひらがなないしカタカナが入る。これによって、タテかヨコかどちらかが分かれば、別の言葉のヒントとなるのだ……

理解できただろうか?クロスワードパズルの説明ってなかなか難しい。

 

つい先日、親戚の集まりがあり、そこに来ていた子が一心不乱にクロスワードパズルをやっていた。その子のお母さんも夢中になって解いている。

僕も暇だったので挑戦することにしたのだが、これがなかなか面白い。けっこう頭を使うのだ。持っている知識を総動員し、マスを埋めていく作業が、脳味噌の片隅まで掃き掃除をしているようで快感である。

すると、親戚の親子が「ここがどうしてもわからん!」と、悩み始めた。途中までパズルを解いていたようだが、どう考えても分からない部分があるようだった。見るとこんな感じにマスが空いていた。

 

                  じ

                  □ま

              しんどう

       でい□ □

              □

              □

 

……このマスを再現するのにかなり時間がかかった。心が折れそうになったが、ここまで書いたので最後まで書くとする。

とにかく、タテの「じ□ん□」と「し□□□」、ヨコの「□ま」と「でい□□」という単語が埋まらず悩んでいるようだった。

そしてそれぞれにはヒントとなるカギが書いてあるのだが、

 

「じ□ん□」

→シューティングやアドベンチャーなど

「し□□□」

→超えてナンボ

「□ま」

→デック

「でい□□□」

→いろんな意味での交渉

 

と、あった。

普通、ヒントなので分かりやすい単語が入っているはずなのだが、「デック」だけは全く意味が分からない。なんだよデックって。分かる言葉を書いてくれよ。

この埋まらないマスのために、僕は必死で頭を使った。脳味噌の片隅の片隅まで探したがまったく分からなかった。脳味噌のシワの奥までも丹念に探した。が、見つからなかった。

まずタテの「じ□ん□」、カギには「シューティングやアドベンチャーなど」と書いてあった。ということはゲーム関係だろうか?と散々頭を悩ませ出てきたのは「じまんじ」だった。ボードゲームの映画の名前である。ズルした男の子が猿になるやつ。しかしよく考えたらそれは「ジュマンジ」だった。なので保留にした。

次にヨコの「□ま」。お前だよお前。「デック」のお前だよ。この「ま」は「蛍の光〜◯◯の月〜」とあったので下の言葉とも合わせて「まど」が正解なので正しい。だが、そもそも「デック」の意味が分からない。デック……デックの坊(木偶の坊)?ダメだ、こんなことしか思い浮かばない。1番の木偶の坊はこんな事も分からないお前だよと言わんばかりである。とりあえずこれも保留。

次にタテの「し□□□」、「超えてナンボ」って何だ?「し」から始まる超えてナンボな四文字……「師匠(ししょう)」か?ふとキル・ビル2のパイメイ先生のような師匠の姿が頭に思い浮かぶ。

「ワシを超えてみせよ…」

誰なんだ一体。クロスワードパズルの師匠か。

とりあえず、小さな文字で「ししょう」と書いた。

最後に、ヨコの「でい□□」、「いろんな意味での交渉」とあるが、先ほどの「ししょう」が正しければ「でいし□」という単語になるはずだ。何だ「でいし□」って。でいし……出、石……?「出石」?いや、出石と書くと「いずし」だ。水曜どうでしょうで皿そばを食べていたところだ。この地に「いろんな意味での交渉」という意味はもちろんない。

 

「ぼかぁねぇ〜こんなパズルをねぇ別にやりたいわけじゃないんだよぉ」

 

と、頭の中で小さな大泉洋がボヤいている。頭を使いすぎて全く関係のないことを考え始めてしまった。今や頭の中でジュマンジの猿になった子と、パイメイ先生と、大泉洋、そして謎の「デック」が侃侃諤諤とああでもないこうでもないと議論している。

 

……さて、ここまで書いてかなり長くなってしまったので、続きは次回に持ち越しである。

ここまでで、勘の良い人は気付いていると思うが、実はある重大な「見落とし」をしているのだ。その「見落とし」とは…?そしてパズルは全て埋まるのか…?

続きは次回の「解決編」で。

またお会いしましょう。

小島えもでした……(古畑任三郎風に)

『ふ』

『ふ』という言葉には何か不(ふ)思議な力がある。

 

小さい頃に読んだ本にこんな一ページ、いや二ページがあった。

そのページには、「きょうふのみそしる」という言葉と、恐ろしい顔をしたゾンビが味噌汁の入った茶碗を持っているイラストが描いてあった。

ところが、次のページをめくると実は「きょう、ふのみそしる」であり、先ほどのゾンビが嬉しそうな顔をして「やったー!ふだー!」と言っているイラストが描いてあるのだ。

つまり、「きょうふのみそしる」は「恐怖の味噌汁」ではなく、「今日、麩の味噌汁」だったのだ。しょうもないダジャレだ。だいたい怖い味噌汁とは何だ。味噌の代わりに脳味噌が使ってあるのだろうか。それだったら怖い。

 

先日、「大阪府」と書く機会があった。

その時に「府」という部分に妙な引っ掛かりを持った。日本で「府」が使われているのは大阪府京都府のみである。どちらも「大阪」「京都」と呼んでいるせいか、「本当に大阪『府』で合ってるのか…?」と不(ふ)安に思った。

「おおさかふ」と頭の中で音読してみると、ぼんやりと「柔らかい」イメージが浮かんできた。僕の大阪体験というと、道頓堀で背の高い女に「ねえ、もう行こう、ねえ」と強引に夜の店に誘われたり、新世界の地下劇場でホモのおじさんに股関節あたりをさすられまくったりと散々なものが多い。(ホモのおじさんの話はまた書こうと思います)

だが、大阪には人情や、温かみのような、色でいえばオレンジで、図形でいえば鉛筆で描いた楕円のようなイメージもある。この辺りのイメージが「柔らかさ」に近いのではないだろうか。散々な目に遭いながら、大阪のことを嫌いになれず、むしろまた行きたいと思うのも、この「柔らかさ」に触(ふ)れたいからかもしれない。

京都府の「ふ」はまさに京都のイメージ通りだ。

小学生の頃、修学旅行で京都に行った時、清水寺のあたりにあったお土産屋で小銭をばらまいてしまった。慌てて小銭を拾ったが、どう考えても100円足りない。小学生の僕にとって100円はまあまあな大金だったので、僕は途方に暮れて大泣きしてしまった。

そんな僕を見て、お土産屋の優しそうなおじさんが暖かい梅昆布茶を一杯くれたのだ。その梅昆布茶の美味さは、今でも忘れられない。

だからそれ以降、僕の京都のイメージはあの暖かくてほのかに酸っぱい梅昆布茶だ。ひらがな一文字で表すなら間違いなく「ふ」である。梅昆布茶を冷ます時も「ふぅふぅ」と息を吹(ふ)きかける。

 

豆腐の「腐」も本来は「柔らかい」という意味であると、どこかで聞いたことがある。「ふ」に持った「柔らかさ」というイメージはあながち間違っていなかったのかもしれない。

「ふ」という言葉には、人を「ふふふ」と笑顔にする力がある。

 

ところで、僕は昔から親に「お前といると『ふ』のオーラが移る」と言わているが、これは全くいい意味ではない。不(ふ)憫な小島を笑ってくれ。

乗りたい車と本当のロッカー

去年、ようやく普通自動車免許を取得した。

高校を卒業し、大学に進学する時、ありがたいことに祖母が車校(余談だが、自動車学校のことを車校というのは中部地方だけらしい。便利だから使ったらいいのに)の費用を用意してくれていた。にも関わらず、通いはじめたのは去年。大学に進学したのは6年前だ。理由は、原付の免許を持っていたので、それほど困ることもなかったからだ。それに大学も忙しくて……ごめんなさい、めんどくさかったからです。本当にどうしようもない。

だが、通い始めてからは新しい発見の連続だったので面白かった。アクセルをふんわり踏み込むとゆっくり車が動き出す。それだけで楽しい。ガンダムに初めて乗ったアムロと同じだ。「こいつ…!動くぞ…!」と思った。残念ながらニュータイプではないので運転に慣れるまでかなり時間がかかってしまったが。

僕を指導してくれていた教官は、見た感じ僕の一つか二つ歳上くらいの若いイケメン教官で、いつもダルそうだった。僕の覚えが悪いのでよくミスをしたが、その度に露骨に嫌そうにしていた。昼過ぎだといつもあくびをしながらの指導だった。

乗車中、教官とよくたわいもない話をした。だが、教官とあまり趣味が合わず、会話はまるでローギアで走る車のようにガタガタとしていてスムーズではなかった。例を挙げるなら、路上を走っていて「この辺に美味しいご飯屋ってないの?」と聞かれ、「◯◯ってラーメン屋が美味しいですよ」と言うと「ラーメン好きじゃない」と言われ、逆に「どこか美味しいご飯屋知ってますか?」と聞くと「スシロー」と答えられる……という具合である。スシローは美味しいが、求めていた答えとは違う。(書いてて思ったが、嫌われていたのかもしれない)

ある時、教官に「免許取ったら何の車に乗るの?」と聞かれた。車校でよくありそうな会話である。おそらく、他の生徒にも聞いているのだろう。

僕にはちょっとだけ憧れている車があった。日産のラシーンという車である。(参考までに→https://goo.gl/VHyFcz)この車を知るきっかけになったのはceroのSummer Soulという曲のMVだ。(これも参考までに→https://youtu.be/lfETQNfBAD4)このMVに出てくるのがラシーンだ。あと、大好きな漫画「干支天使チアラット」にも出てくる。今の車にはない角ばったデザインで、どこまでも行けそうなフォルムをしている(実際どうかは知らない)。いつかこのラシーンに乗って、修学旅行で行った北海道の真っ直ぐな道を走ってみたい…と妄想していた。

「日産のラシーンって車に乗りたいなと思ってます」と、僕が言うと「ラシーン?知らんなあ…」と言われた。車校の教官なのだから車には詳しくあれよ…と思ってしまったがちょっと古い車なので知らなくても当然かもしれない。

すると教官が「ラ・ムーなら知ってるけどね…」と言うのだ。

 

ラ・ムー?

 

ラ・ムーってあの菊池桃子のラ・ムーか?

 

ご存知だろうか。かつて「ラ・ムー」という伝説のロックバンドがいたことを。アイドルだった菊池桃子が突如結成し、「愛は心の仕事です」や「少年は天使を殺す」「Tokyo野蛮人」といった名曲で知られるロックバンドである。というか、この三曲しかシングルを出してないし、アルバムも一枚だけである。若き日の大槻ケンヂ「本当のロッカーとは!!ラ・ムーのボーカリスト!菊池!!桃子さんだぁ〜〜!!!」と声高に叫んでいたので、高校生の頃、試しに聴いてみて衝撃を受けた。菊池桃子の消え入るような細々とした声、独特のリズム、凝ったバックコーラス…「これが本当のロックンロールか!!」と信じ込んでいた。

 

……話を元に戻そう。そんなラ・ムーという単語がまさかこれまで一つも話が噛み合わなかった教官の口から出ようとは。

初めて話のギアが繋がるかもしれない、と思わず

 

菊池桃子のことですか!?」

 

と聞くと、

 

 

「………は?」

 

 

と返された。どうやらラ・ムーという店が近所にあるらしい。話はそこでエンストした。

午後、四十代くらいの別の教官に同じ話をしたらめちゃくちゃ笑ってくれたので、僕は悪くない。

こんなにも書いたが、教官は悪い人ではなかったし、何よりもこの人のおかげで車を運転できるようになったのだ。とても感謝している。

 

残念なのは、車を運転する予定が全くないということだけだ。