乗りたい車と本当のロッカー
去年、ようやく普通自動車免許を取得した。
高校を卒業し、大学に進学する時、ありがたいことに祖母が車校(余談だが、自動車学校のことを車校というのは中部地方だけらしい。便利だから使ったらいいのに)の費用を用意してくれていた。にも関わらず、通いはじめたのは去年。大学に進学したのは6年前だ。理由は、原付の免許を持っていたので、それほど困ることもなかったからだ。それに大学も忙しくて……ごめんなさい、めんどくさかったからです。本当にどうしようもない。
だが、通い始めてからは新しい発見の連続だったので面白かった。アクセルをふんわり踏み込むとゆっくり車が動き出す。それだけで楽しい。ガンダムに初めて乗ったアムロと同じだ。「こいつ…!動くぞ…!」と思った。残念ながらニュータイプではないので運転に慣れるまでかなり時間がかかってしまったが。
僕を指導してくれていた教官は、見た感じ僕の一つか二つ歳上くらいの若いイケメン教官で、いつもダルそうだった。僕の覚えが悪いのでよくミスをしたが、その度に露骨に嫌そうにしていた。昼過ぎだといつもあくびをしながらの指導だった。
乗車中、教官とよくたわいもない話をした。だが、教官とあまり趣味が合わず、会話はまるでローギアで走る車のようにガタガタとしていてスムーズではなかった。例を挙げるなら、路上を走っていて「この辺に美味しいご飯屋ってないの?」と聞かれ、「◯◯ってラーメン屋が美味しいですよ」と言うと「ラーメン好きじゃない」と言われ、逆に「どこか美味しいご飯屋知ってますか?」と聞くと「スシロー」と答えられる……という具合である。スシローは美味しいが、求めていた答えとは違う。(書いてて思ったが、嫌われていたのかもしれない)
ある時、教官に「免許取ったら何の車に乗るの?」と聞かれた。車校でよくありそうな会話である。おそらく、他の生徒にも聞いているのだろう。
僕にはちょっとだけ憧れている車があった。日産のラシーンという車である。(参考までに→https://goo.gl/VHyFcz)この車を知るきっかけになったのはceroのSummer Soulという曲のMVだ。(これも参考までに→https://youtu.be/lfETQNfBAD4)このMVに出てくるのがラシーンだ。あと、大好きな漫画「干支天使チアラット」にも出てくる。今の車にはない角ばったデザインで、どこまでも行けそうなフォルムをしている(実際どうかは知らない)。いつかこのラシーンに乗って、修学旅行で行った北海道の真っ直ぐな道を走ってみたい…と妄想していた。
「日産のラシーンって車に乗りたいなと思ってます」と、僕が言うと「ラシーン?知らんなあ…」と言われた。車校の教官なのだから車には詳しくあれよ…と思ってしまったがちょっと古い車なので知らなくても当然かもしれない。
すると教官が「ラ・ムーなら知ってるけどね…」と言うのだ。
ラ・ムー?
ラ・ムーってあの菊池桃子のラ・ムーか?
ご存知だろうか。かつて「ラ・ムー」という伝説のロックバンドがいたことを。アイドルだった菊池桃子が突如結成し、「愛は心の仕事です」や「少年は天使を殺す」「Tokyo野蛮人」といった名曲で知られるロックバンドである。というか、この三曲しかシングルを出してないし、アルバムも一枚だけである。若き日の大槻ケンヂが「本当のロッカーとは!!ラ・ムーのボーカリスト!菊池!!桃子さんだぁ〜〜!!!」と声高に叫んでいたので、高校生の頃、試しに聴いてみて衝撃を受けた。菊池桃子の消え入るような細々とした声、独特のリズム、凝ったバックコーラス…「これが本当のロックンロールか!!」と信じ込んでいた。
……話を元に戻そう。そんなラ・ムーという単語がまさかこれまで一つも話が噛み合わなかった教官の口から出ようとは。
初めて話のギアが繋がるかもしれない、と思わず
「菊池桃子のことですか!?」
と聞くと、
「………は?」
と返された。どうやらラ・ムーという店が近所にあるらしい。話はそこでエンストした。
午後、四十代くらいの別の教官に同じ話をしたらめちゃくちゃ笑ってくれたので、僕は悪くない。
こんなにも書いたが、教官は悪い人ではなかったし、何よりもこの人のおかげで車を運転できるようになったのだ。とても感謝している。
残念なのは、車を運転する予定が全くないということだけだ。
「小島えもの頑張るブログ」のロゴを作りました
いつもブログを見てくださり、まことにありがとうございます。はじめましての人ははじめまして。ブログ書いてます。
ところで、はてなブログというのはアイコンが設定できるようなので、せっかくだからこのブログのロゴを制作した。
イメージは昭和のバライティー番組である。
昭和のバライティー番組のロゴはよく見ると面白い。点々が星やハートになっていたりする。このロゴは「8時だヨ!全員集合」や「植木等のそれ行けドンドン」を参考にした。もといパクった。どうでもいいが「植木等」を毎回「植木など」と読んでしまう。などにはクレイジーキャッツのメンバーが含まれるのだろうか。谷啓は知っている。
それにしてもなぜ「頑張るブログ」なんて題名にしたのだろう、と思う。自分で名付けたのに。
ブログの名前を決める時、数個案を出した。「吾輩はえもである」とか「えも六尺」とか「えもの奇妙な冒険」とか。ただ、あまりしっくり来なかったのだ。それで、何となくつけたのが「小島えもの頑張るブログ」だった。
「頑張る」という言葉が嫌いな時期があった。自分では頑張ってるつもりなのに他人から「頑張れ」と言われ続け、「頑張れ頑張れって言うけど、これ以上何を頑張ったらいいのだろう」と悩み、しまいには頑張りすぎてパンクしてしまったことがある。「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」と石川啄木は言ったが、当時の僕は「頑張れど頑張れど猶…」だった。ぢっと手を見る他ない。
だが、今こうして当時のことを振り返ると、思い詰めるほど頑張ってはいなかったと思う。いや、何といえばいいのだろう。間違った頑張り方をしていたのかもしれない。他人からの「頑張れ」に応えようと必死で、自分のペースを乱していたような気がする。が、過ぎ去ってしまったことを後悔しても仕方がない。気付くのはいつも全てが終わってしまった後だ。
だからかもしれないが、今、何か頑張ってやってみたいなと思うことが多い。このブログもその一つだ。文章を書くことが好きだったので、エッセイと言うと大袈裟だが、日々思うことを何かに残しておきたいと思っていた。
そう考えると、何となくつけてしまった「小島えもの頑張るブログ」という名前も悪くない気がしてきた。「ひょっこりえもこ島」と名前を変えようかなと思っていたが、このままでいくことにしよう。ちょっと「ひょっこりえもこ島」も気に入っているけど。
今年の目標は「頑張る」。ということで、これからも一つよろしくお願いします。
いつもどうでもいい話ばっかりだなと思うが、今日はいつもに増してどうでもいい話である。オチもないし。いつまでもクリームに届かないクリームパンのようだ。それはもはや無味のパンである(これが今回のオチ)
この青い地球に
「地球は青かった」とかつてガガーリンは言った。(はてなダイアリーによると本当に言ったという記録はないらしい。言っといてくれそこは)
とにかく、地球は青いらしい。先程から「地球」と打つと出てくる絵文字🌍も青い。
僕も地球に生まれたのだが、生まれてこのかた肉眼で見たことはない。おそらく、地球人の0.1%ほどしか自分の住む星を見ることは出来ないだろう。※追記あり
ところで、なぜ地球は青いのだろう?検索してみるととても分かりやすく解説してくれるサイトがあった。以下、引用である。
地球の表面の70%は海におおわれています。宇宙(うちゅう)から見て、青く見えるところは海なのです。
では、なぜ海は青く見えるのでしょうか。その理由はいろいろありますが、一番大きな理由は、太陽の光です。
太陽の光は、にじの7つの色がひとつにまざりあったものです。7色のうちの青の光だけが海の深いところまでとどくために、海は青く見えているのです。ほかの色はとちゅうで海水に吸収(きゅうしゅう)され、消えてしまうのです。
参照:https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1340.html
…なるほど。
普段生活していて、自分が地球にいると感じることはない。狭い世界で生きることに一生懸命で、外に広がる広い世界を感じる暇など無いからだ。だが、夜に煙草を吸いながら星空を眺めていると、太古の人々が名前をつけた星たちが光っている。詳しくはないが、おそらくギリシャ人とかが名前をつけたのだろう。と、いうことは遠く離れた国でも同じ星を見ているはずだ。この狭い世界も地球の一部なのだ。冬は特に星が綺麗に見えるので、自分が地球という一惑星に住んでいるのだなと実感する。とてもぼんやりとだが。
地球を想像するたびに、一緒になって思い出すことがある。
四年生の頃、学校行事で半成人式というものがあった。ちょうど10歳、半成人になるのでみんなで歌を歌ったりする会である。
こういう会に付き物なのが一人一人がフレーズを言っていくアレである。正式名称は分らないが「楽しかった〜」「運動会〜」みたいなやつだ。半成人式の前に誰がどのセリフを言うか決める時間があった。そして、たくさんのセリフの中に「この青い地球に」というセリフがあったを見つけた。
言いたい。「この青い地球に」を。当時の小島少年は真っ先にそう思った。
半成人式とは親も参加する。小学生にとって一番の魅せ場だ。しんと静まり返った体育館で、人一倍心を込めながら「この青い地球に」と言いたい。「この青い地球に」。なんてかっこいい言葉なのだろう。このセリフは半成人式の主役級、給食で言えば揚げパンレベルだ。「運動会〜」とか「遠足〜」などという言葉は全てきゅうりの酢の物である。
「自分の言いたい言葉に丸をつけて」と先生が言った瞬間、僕は黒板までダッシュし、「この青い地球に」の部分に丸をつけた。誰にも譲れなかったからだ。ところが、あまりに急ぎすぎて手元が狂ったのか、間違えて隣に丸をつけてしまった。隣の言葉は「生まれた」だった。半成人式本番、学年一優秀だった同級生が言う清々しいくらいの「この青い地球に」の後に、小さく「生まれた」と言ったのを今でも覚えている。
大事な瞬間に焦ってはいけない。
半成人時代の反省である。
※追記:「マジで今まで地球を肉眼で見たことのある人は世界人口の何%なのだろう?」と思い、今まで宇宙に行った宇宙飛行士の数と世界人口で計算したところ0.000017%でした。少〜〜)
落書いて、人生。【ケンギフカルチャーサミット】
アートって何だろう。
こんなことをふと考えたりする。
シュールレアリズムとか、レディメイトとか、モダンアートとか、ポストモダンとか・・・
言葉として学び、作品として学んでもなお、説明することが出来ない。
アートとは、一体何なのだろう。
そんなモヤモヤとした気持ちが生まれてくる。
と、いうわけで今回、岐阜県の可児市で行われている「ケンギフカルチャーサミット」に行ってきた。
公式サイト:kengifuculturesummit
「岐阜県で岐阜県に所縁のあるアーティストたちによるアートショー」
と銘打ったこの企画。
主催したのはTOMASON:TOMASON (@tomason_kt) | Twitter
という岐阜で活躍するアーティスト集団である。
どこかのちょっとビターな唇泥棒のようなアー写
このTOMASONでイラストを描いている開登[かいと](写真左2)は大学の同級生で、
厄介ごとがあるとよく「まじ、頼む、ホント、お願い」と電話をかけてきた。
そんな縁でTOMASONの活動をたまに手伝っていたので、他のメンバーとも仲良くさせてもらっている。
地元岐阜でアートショーをやることが開登の長年の夢であった。
念願かなっての展示である。
だが、今回の展示で7年続いたTOMASONとしての活動を終わりにするという。
この「ケンギフ」はいわゆる最後の晴れ舞台という訳だ。
会場に着くと、ちょうど開会式が行われようとしているところだった。
TOMASONメンバーによる開会宣言のあと、ヨルトエという可児出身のバンドによるライブがあったり
TOMASONメンバーとダンサーのシゲキさんによる創作ダンスも披露された。
また、会場内には岐阜県出身のアーティストによる作品も展示されていた。
もちろん、TOMASONによる作品も展示されている。
ところどころにオチンチンがいる。
用事があったので途中退散してしまったが、夜の10時までイベントは盛り上がったそうだ。
僕自身も岐阜出身だが、こんなにも岐阜出身のアーティストがいることに驚きだった。
が、それ以前に開登はどこで彼らと知り合ったのかが気になった。
思い返せば彼は学生時代から謎の多い男だった。
僕らはデザインの大学にいたのだが、彼は一年生の頃にデザインをすることをやめ、
「落書きはアートだ」
と言って、アート活動(落書き)をするようになっていた。
同級生たちが自分の持ち物にTOMASONのステッカーを貼っていたのを覚えている。
彼と仲良くなったのは大学三年生の頃からである。
友人たちとフリーペーパーを作ろうと企画をしていた時、「TOMASONとして何かやらせてほしい」と言ってきたのである。
その頃には自分でTシャツを販売したりと精力的に活動していた。
僕の卒業制作では彼にインタビューもした。
開登自体は卒業制作のプレゼンテーションで、「展示室に3メートルほどの小屋を建てたい」と言って教授をブチ切れさせていた。
そして小屋を建てることを諦めた彼は、なんと卒業制作会期中に会場近くのギャラリーで個展をやってのけたのである。
思い返すと何もかも懐かしい。
写真中央、彼が乗っている表彰台のようなものは彼の卒業制作である。
赤瀬川原平の「四谷の純粋階段」を模したオブジェに自身の絵を描きまくっている。
これを見ていると、卒業制作の直前に開登から
「ちょっと時間ないから小島君の家で作業させてくれ。まじ、ホント、お願い、時間がない」
と頼み込まれたことを思い出す。
当時、僕は大学近くに友人と二人で平屋のボロ家を借りていた。
一緒に住んでいた友人は「お前の部屋でやるならいいよ」と言うので深夜、純粋階段(を模した段ボール)を二人で家に運び込んだ。
寒い中、他に来ていた友人に背中をシバかれながら黙々とペンを進めていた。
明け方、集中力が切れてくると大好きな「でんぱ組.inc」を流しながら、奇声を上げて作業に没頭していた。
この頃、個展の準備も同時に進めていたので、寿命を削っていたんじゃないかと思う。
またある時は、
「TOMASONのドラマ作るから、頼む、出演してくれ、マジで、お願い、ホント、TOMASONのこれからがかかってるから」
と言って河川敷に呼び出された。
ドラマの内容は「河川敷にある便器と青年の友情物語」だった。
開登は便器を演じていた。
「ワシは便器じゃ」
今思い返すと何だったんだこれは。
ちなみに、僕は「便器を取り壊しにきた市の職員」役だった。
こんな便器、取り壊されて当然だ。
そんな彼は卒業後、東京に行ってしまった。
東京に行ってからも創作活動は留まることを知らず、SNSでその活躍を見ていた。
ラジオも始めたりして、ある女性作家からボロカスに批判もされていた。
そんな彼が今回、長年の夢だった「地元岐阜でのアートショー」をやってのけたのだ。
一友人として、誇らしく思う。
反面、同い年でここまでのことをやってのける彼に少し嫉妬する。
なんか、遠くの存在に感じてしまって寂しくなることもある。
改めて、「アートって何だろう」と思う。
冒頭にも書いたが、「アート」を説明できないモヤモヤとした気持ちが心に生まれる。
「アートとは何か?」という出口の無い迷宮には、誰かが掘った難しい名称の穴ぼこがいくつも空いていて、人々はそこに自身の身体を埋めている。僕はその穴につまずいて身動きが取れなくなっていたのかもしれない。
ただ、この「ケンギフカルチャーサミット」はそんな迷宮の天井をぶち壊して、広い空があることを教えてくれた。
分かりづらい例えで大変恐縮だが、要するに今回の展示を見ていて、
TOMASONや他のアーティストの方々の作品から
「難しいことなんか気にすんなよ、みんな楽しければそれでいいじゃないか」
というメッセージが聞こえてきたような気がしたのだ。
きっと開登自身も難しいことを考えず、ただ自分の好きなように動いていると思う。
(難しいことを色々と考えていたのならごめんね)
TOMASONとしての活動は終わるらしいが、たぶん個人での活動は続くのだろう。
これからも彼は自分の好きなように落書いて落書いて落書きまくるはずだ。
もしかしたらまた「マジ、頼む」の電話もあるかもしれない。
それには暇だったら応えようと思う。
とりあえず、開登、ねっこさん、なすくん、やまもとくん、おおはしくん
7年間、お疲れさまでした。
これまでTOMASONの活動を間近で見ることができて幸せでした。
たくさんの刺激を与えてくれてありがとう!!
・・・なんかこれで終わりみたいな書き方をしてしまったが
ケンギフ自体は2/5(月)まで開催中とのこと。
このブログを読んでいるあなた、要チェックですよ。
(もう行ったという方、楽しかったですね)
ケンギフカルチャーサミット
日付 / 2018年 2月3日(土)〜2月5日(月) AM10:00-PM10:00 ※最終日は16時まで
場所 /可児市文化創造センターala
〒509-0203
岐阜県可児市下恵土3433-139
TEL:0574-60-3311
URL:http://www.kpac.or.jp
■最寄駅
・名鉄 日本ライン今渡駅(タクシー5分、徒歩10分)
・JR 可児駅(タクシー10分、徒歩30分)
■高速道路でアクセス
東海環状自動車道 可児・御嵩IC(約15分)
中央自動車道 多治見IC→国道248号線(約25分
(437台収容の無料駐車場をご用意しております。イベント時は込み合いますので皆様での乗り合わせ、または公共交通機関のご利用をお願いいたします。)
URL:http://www.kpac.or.jp/access/
孤独に目を覚ますJ.BOY
最近、広瀬香美の「Groovy!」という曲をよく聴く。カードキャプターさくらというアニメのエンディングに使われていた曲だ。
カードキャプターさくら自体、小さい頃にちらっとしか観たことがないが、この曲は強く耳に残っていた。そもそも、カードキャプターさくらのエンディングということは知っていたが、曲名までは分からなかったので最近調べて聴き出したのだが。
一曲フルで聴いてみると、一箇所違和感のある歌詞があった。それは2番の頭の方に出てくる。こんな歌詞だ。
街を見渡そう 電話やパソコン オンラインの扉
隠れてる 探そうよ この世は ハァ〜〜〜〜周りまっさ〜〜
この「ハァ〜〜〜〜周りまっさ〜〜」という歌詞、なぜ急に香美は神輿を担ぐかのような歌い方になるのだろう?と驚いた。「ハァ〜〜〜〜」の後に「ヨイショッ!」と言いたくなる。「周りまっさ〜〜」というのもよく分からない。何弁なのだろう。とにかく、陽気な曲なので陽気な感じを出したかったのだろうか。
一応、歌詞を確認しようと見てみると「ハァ〜〜〜〜周りまっさ〜〜」ではなく「宝島さ」と言っていたようだ。聴こえていたように書くのなら「たぁ〜〜〜〜からじまっさ〜〜」である。そしてこの歌詞の前に出てくる「オンラインの扉」と聴こえていた部分は「未来の扉」であった。ここは気づかなかった。パソコン、携帯ときたらオンラインでもおかしくない。
1番で「地球だって周るよ」と言っているのでこの世が周っていても、いや、周りまっさ〜〜しててもおかしくない…と思った自分がおかしかった。
こうやって歌詞を聞き間違えていたという曲は他にもある。浜田省吾のデビューシングル、「路地裏の少年」のある歌詞に至ってはおよそ20年ほど勘違いしていた。
僕の父母は大のハマショーファンで、幼少期から車のBGMはずっとハマショーだった。自分でCDを買うまで音楽=ハマショーだと思って過ごしてきた。特にこの「路地裏の少年」という曲はたくさんバリエーションがあるので流れる回数が多かった。
歌詞の中で特に印象的だったフレーズが
いつか孤独に目を覚ます
という歌詞だ。
幼少期は意味こそ分からなかった。が、大学を卒業する直前、友達と遊んでいる時に「今はこうして遊んでるけど、みんな就職したら遊べなくなるなあ」とふと思ったその瞬間、ハマショーが「いつか孤独に目を覚ます」と僕に囁いた気がしたのだ。
これか。みんないつまでも当たり前に一緒にいるが、いつか別れる日が来る。若きハマショーはそのことを歌っていたのだ。なんて切なく、そして素敵な表現なのだろう、と感動した。孤独に目を覚ます時は必ずくる。ただ、その時まで楽しい夢を見ていたい…とキザに思ったのである。
後に歌詞を見てみると「いつか孤独に目を覚ます」ではなく「いつかこの国目を覚ます」だったと知り、目を覚ましていないのは自分だったと思い知るのである。この恥ずかしい勘違いが消えるまで風を切り闇の中を突っ走りたい。
追記…改めてまた「路地裏の少年」について調べてみたらけっこう同じ勘違いをしている人がいたのでちょっと安心した。
妖怪切手ぺろ舐めの苦悩
この間、仕事で郵便を出す機会があった。
郵便を出す、なんて言っても大したことはしない。宛先を書き、切手を貼るだけである。
ところが、この「切手を貼る」という作業に差しかかろうと思った時、ふと手が止まった。
「舐めて貼っていいのだろうか…」
ここまでの人生で切手を貼るという作業は100回もしていないと思うが、その全ての切手を舐めることによって貼り付けていた。今までそれに何も疑問を感じていなかった。しかし今回、切手を舐めて貼るという行為に脳がストップをかけたのだ。
理由は二つある。一つは仕事で送る郵便であるということ。受け取る人にとっては切手が舐めてあろうがなかろうが、その有無を知る術はない。ただ、仕事でできるだけミスをしたくない。仕事上で送る郵便の切手を舐めるという行為がもしかすると「アウト」なのでは?と思ってしまったのだ。ビジネス書にも書いてあるかもしれない。「切手を舐める人は出世しない」と。
もう一つの理由、これが主な原因だが職場で舌を出して舐める行為がちょっと馬鹿っぽくないか?という不安を感じたからである。いつの日にか書いたが「他人は自分が思うほど自分を見ていない」と思っていてもどうしても気になってしまう性分なので、果たしてこの行為が許されるのだろうかと不安になってしまったのだ。ペロンと切手を舐めた後に「今、切手をつけるために仕方なくやったことですよ」と言わんばかりのキリッとした表情をしたとして、挽回出来るのだろうか。舐めた時点で僕はもう「妖怪切手ぺろ舐め」なのだ。
こんなことを考えてしまい、本当に手が止まってしまった。ただ、貼らないわけにはいかない。切手も満足に貼れない無能男、と思われる方がよっぽど嫌だ。結局、ティッシュを一枚給湯室に持って行き、湿らせてから切手にポンポンと押し付けて貼ることにした。しかし、水をつけすぎたのか切手が予想外にふにゃふにゃになってしまった。幸い中の封入物は濡れなかったが、机を少し濡らしてしまった。ミスをしたくないという気持ちのせいで結果的にミスをしてしまった。机を拭いている時に「自分に足りないのは人目を気にしない心の強さだ」と痛感した。書いていて思ったが普通に糊で貼り付ければよかった。
ところで切手を一枚舐めることにより2キロカロリー摂取できるらしい。100枚舐めると200キロカロリー。カロリーメイト2本分だ。お腹が空いたけど食べるものがなく、代わりに山のように切手がある人にはオススメである。
STAP細胞を飲んだ話
「STAP細胞」を覚えているだろうか。
2015年、何かと日本を騒がせたSTAP細胞。僕はゴリゴリの文系なのでそれが一体何かは知らないが、連日のようにニュースになっていたので記憶にある(2015年以降に生まれた方は知らないかもしれない。詳しく知りたい人は今目の前にある機械で調べてください)。
発見者の小保方さんは会見で「STAP細胞はありまぁす」と言っていたが、本当にあると思った人は少ないのではないだろうか。
僕は、あると断言する。何故ならSTAP細胞を飲んだからである。
2016年冬の出来事である。僕はある用事で東京にいた。東京には大学の後輩と、その後輩と一緒に住んでいる同級生がいる。用事が済んだ僕は、せっかく東京に来たのでその二人と会っていた。
後輩の家の近くの井の頭公園に行き、三人でふらふらと遊んでいると突然後輩がこんなことを言い出した。
「このあたりに、小島さんの好きそうな怪しい店があるんですよ」
僕は怪しい店が好きだ。エッチな店ではない(エッチな店は嫌いではないけど)。裏路地にひっそりと佇む、人を寄せ付けぬ外観をした、怪しげな店主が一人でやっているような店が好きなのだ。
「この間見つけたんですけど、二人じゃちょっと入りづらくて…小島さんが東京に来た時に行こうって二人で話してたんです」
と後輩が言う。
それならば行くしかないだろうと、井の頭公園を出た。しばらく住宅地を歩いているとその店はあった。
まだ明るいのに妙に暗い雰囲気が漂う店。ペンキが剥がれた白い門があり、営業中なのかも分からない。こういう店は好きだが、入るのには流石に勇気がいる。意を決して、僕たち三人は中に入った。
店は古い木造の建物だった。きっと何十年も前からあるのだろう。真ん中に大きな机が一つあり、その周りを椅子が囲んでいる。
すると、奥からおばさんが出てきた。店主だろう。あまり来客がないのか、僕たち三人にやや驚いている様子だった。
店主は僕たちにお茶を出しながら「うちの店はどうやって知ったの?」と聞いてきた。「いや、なんか偶然通りかかって気になったものですから…」と後輩が答える。「気になる店…そうね、フフフ」とちょっと嬉しそうに言った。
この店は昔からやっている団子屋であった。僕たちはその名物の団子を注文した。団子を待っている間、店内を見渡すと謎のスピリチュアルなポスターや「脱原発」と大きく書かれたポスターが貼ってある。この時点で気付くべきだったのだ。この店はただの団子屋じゃないと…
出てきた団子はとても美味しかった。柔らかい団子で、あんこときな粉とシナモンの味があった。出していただいたお茶によく合う。食べ進めていると、店主のおばさんがこんなことを言い出した。
「私、前世占いができるんだけど、貴方達やっていく?」
前世占い…?団子屋なのに…?
気になった僕たちは受けることにした。というか、受ける以外の選択肢はない。店主から紙を渡され、そこに生年月日と生まれた時間を書いた。生まれた時間を書く理由は、そこまで細かく書くと占いの精度が上がるからだそうだ。後輩と同級生は生まれた時間までは覚えていなかったようだが、僕は親から「19時30分」と聞いたことがあるので、しっかりと紙に書いた。
紙を受け取り、店主が「じゃあ占ってくるから、その間にこれを読んでて」と何かが書かれた紙をくれた。そこには前世はある!というような話と、店主自身のスピリチュアル体験が書かれていた。さらには「この世界の真実をお勉強しましょう」と、さまざまなワードが並べられた紙ももらった(うろ覚えなのだが『ニコラ・テスラ』と書かれていて笑ってしまった記憶がある)
その後、店主が占いの結果を持ってきたが、何を話したか、なんと書いてあったかは正直覚えていない。なぜなら占いの結果が後輩とまったく同じだったからだ。一気に興味が失せてしまった。あんなに細かく書いたのに。前世が同じって魂が二分割されてるじゃねえか。
その後の話が強烈だったのだ。前世の話をしてるうちに、急に原発のことについて語り出したのだ。もはや団子も前世も関係ない。NO NUKESなのだ。
話についていけず次第に愛想笑いが増える三人。後輩の愛想笑いには力がなく、同級生に至っては「えーすごい」としか言っていない。僕の頭の中ではKraftwerkのRadio-Activityが流れていた。
※この曲 https://youtu.be/IWsQgmq-fNs。
そんな三人をはるか後ろに置いてきぼりにし、爆走する店主。
すると、ついにSTAP細胞の話になったのだ。
「STAP細胞はね、本当はあるのよ。九州の◯◯博士が研究してて、そこに小保方さんも元々そこにいて…」
念のため書いておくが、裏の取れていない話である。信じるか信じないかは貴方次第、ホンマでっかな話である。
そして、「その博士が作ったSTAP細胞をね、私も作って飲んでるのよ」と言ったのである。
作って
飲んでいる。
STAP細胞はあったのだ。しかも団子屋のおばさんが作っていたのだ。これには小保方さんも驚きだろう。
「STAP細胞作ってるんですか?すごいですね」と僕が言ったその時、店主がニヤッと笑った。嫌な予感がした。
「……飲みたい?」
鉄爪(ひきがね©️世良正則)を引いてしまった。
完全にSTAP細胞を飲む流れだ。
だが、ここまで来たらいっそ飲んでみたい。だってあの天下のSTAP細胞を飲めるチャンスなのだ。ここで逃せば一生飲む機会はないだろう。(そもそもSTAP細胞が存在するのか?というナンセンスな問いは無視する)
ただ、一人で飲むのは嫌だったので
「いいんですか!?じゃあ彼にもお願いします!」と後輩を指しながら言った。後輩の顔は引きつっていた。元はと言えばお前が行きたいと言った店だ。俺とともに心ゆくまで楽しめ。
それを聞いた店主は奥から一本の500mlペットボトルを出してきた。やや茶色く濁った液体が入っている。これがSTAP細胞なのか。
親切なことにSTAP細胞の作り方まで教えてくれた。が、だいぶ前の話なので忘れてしまった。国家機密レベルの情報だったのに…確か、水を入れたペットボトルに米粒と黒糖を入れ、数日間放置する…という至ってシンプルな作りだった。小保方さんのあのノートにも書いてあったに違いない。
店主がフタを開けるとプシュッとコーラを開けるような音がした。
「これがね、STAP細胞のパワーなの。すごいでしょ。この間2リットルのペットボトルで作ったらパワーが凄すぎてキャップが天井まで飛んだのよ」と笑いながら言った。その頃にはもう「そうなんですね…」と力なく返すことしか出来ないくらい、我々は疲弊していた。
目の前に出されたショットグラスに、STAP細胞を注がれる。これがSTAP細胞か…注ぐとちょっと泡立つんだな……と思った。
後輩が勇気を出して一口舐める。顔がしわくちゃになる。酸っぱいようだ。
こういうのは一口ぺろっと舐めると次の一口にいけなくなる、と思った僕は思い切って一気に、まるでテキーラを飲むかのごとく飲み干した。味は確かに酸っぱかった。どこかヨーグルトと日本酒が混ざったような味がしたのを覚えている。一気飲みする姿を見た後輩と同級生がちょっと引いていたのも覚えている。なんなら店主もちょっと引いていた。なんであんたが引いてるんだよ。
こうして、僕の身体の中にSTAP細胞が入ったのだった。今もあれはSTAP細胞だったと信じている。STAP細胞でなければ僕はS(酸っぱい)T(ただの)A(怪しい)P(ペットボトル汁)を飲んだだけになるからだ。
その店に行ったのは一度きりだったので、今もおばさんがSTAP細胞を飲んでいるかは知らない。ただ、こういう寒い日に外で冷たい風に当たると、喉の奥にあの酸っぱさが蘇ってくるのだ。
…
その後後輩は友達を連れてもう一度行ったらしい。店主のおばさんもかなりびっくりしていたとのことだ。そりゃそうだろう。ただ、団子が美味しかったのでまた行きたいとは思っている。STAP細胞は遠慮したい。