迷宮のクロスワード【解決編】

※前回をまだ読んでいないという方は、まず先にこちらを読んでください。今回はこの記事の続きです。→https://goo.gl/mVbnGh

 

 

……続きである。

前回、クロスワードの答えが分からず煮詰まっていたところで終わった。振り返るとこんな感じである。

 

       じ

       □ま

       しんどう

でい□ □

       □

       □

 

●ヒント

「じ□ん□」

→シューティングやアドベンチャーなど

「し□□□」

→超えてナンボ

「□ま」

→デック

「でい□□□」

→いろんな意味での交渉

 

書いていて思ったが、前回の記事の内容、凝縮すればたったこれだけである。 「実はめんどくさくて前回のやつ読んでないわ」という方、このまま読み進めてもらって大丈夫です。

考えても、考えても、何も分からない。むしろ考えれば考えるほど、この迷宮の中で迷子になってしまう。

相当悩んでいたので、いつしか父母や他の親戚も集まってきた。親戚一同に見守られながらゲームを進めていく…なんだこの状況は。サマーウォーズか?

一つ一つカギとなるヒントを読み返していく。やはり「デック」の意味が分からない……なんなんだよデックって。助っ人外国人選手か?だとしたらクロスワードパズルの問題としては間口が狭すぎる。

その時だった。ふとした閃きが脳味噌の中に浮かんだ。名探偵コナンのアニメでコナンが何かに気付いた時、頭に電流が流れるような、あの感じである。

目をつけたのは……「しんどう」である。

すでに親戚が埋めていた「しんどう」である。

ここのヒントには「頑張りすぎると◯◯◯◯で疲れちゃう」と書いてあった。それで「しんどう」と答えたようだ。

しかし、果たして「しんどう」で合っているのだろうか?「振動」「神童」「新藤」……どれも相応しくない。つまり、すでにこれが間違っていたのだ。

正解は……もうお分かりだろう。頑張りすぎると「これ」で疲れちゃう……そう、「反動」である。

と、なると、

 

           じ
           □ま
        はんどう

でい□ □
       □
       □

 

が正しかったのだ。

と、いうことは「は」から始まる「超えてナンボ」の四文字は……

 

……せーのっ

 

\ハードル/

 

はい、みなさん正解です。

 

そして「じ□□□」の一番最後の文字が「る」で確定する。「じ□□る」の「シューティングやアドベンチャーなど」を意味する言葉は……

 

…せーのっ

 

\ジャンル/

 

はい、お見事です。というかこれは最後の一文字が分からなくても分かるはずの問題だった。

 

これで全ての言葉が埋まった。お疲れ様でした。

……が、これで終われないのだ。このほかに分からなかった言葉が二つあったはずだ。「ハードル」と「ジャンル」が埋まったおかげで、自ずとこの二つの答えも出た。

これがそれである(©️横山裕一)

 

「□ま」
→デック

→答え:やま(山)

「でい□□□」
→いろんな意味での交渉

→答え:でいーる(ディール)

 

……ちょっと待て。と、一旦この二つの言葉を正座させたい。

まずは「やま」。お前からだ。調べたところによるとトランプなどの山札のことを「デック」と言うらしい……お前が「デック」というのを初めて知ったぞ。みんな、お前のことを「デッキ」と呼んでるはずだ。少なくとも20、30代の男子はみんな遊戯王デュエル・マスターズで山札のことを「デッキ」という。それを「デック」って…馴染みがなさすぎるわ!!

そして、「ディール」……

 

お前……

お前は………

 

………何?

 

これも調べたところによると「取引をすること、売買」という意味だそうだ。

……知らんわ!!

僕が無知なだけで、実は当たり前に使う言葉なのかもしれない。「これディールしといて〜」みたいな。イケてるビジネスマンなんかは頻繁に使うのだろう。「今日のディールはきつかったなあ」とか。

だが、仮に知っていたとしても「いろんな意味での交渉」と言われて「ディール」という単語が思い付くのだろうか?思い付く人はディールに一度抱かれているに違いない。ディールといろんな意味での交渉をした人間だ。

 

何はともあれ、クロスワードパズルを完成させることができた。

クロスワードパズル自体、とても楽しかったのでハマってしまいそうだった。親戚が持ってきていたのはコンビニや書店で買えるパズルの詰め合わせ本だった。どこかで見かけたら買ってしまいそうだ。

 

次に入る迷宮に、今回のような得体の知れない怪物がいないことを望む。

迷宮のクロスワード【事件編】

クロスワードパズルというものをやったことがあるだろうか。

おそらく、ほとんどの人がやったことがあるだろう。やったことのない人のために説明すると、四角く空いたマスの中にある特定のワードを入れていき、パズルを完成させるという簡単なゲームだ。タテのカギとヨコのカギがあり、それぞれが交差するところには同じひらがなないしカタカナが入る。これによって、タテかヨコかどちらかが分かれば、別の言葉のヒントとなるのだ……

理解できただろうか?クロスワードパズルの説明ってなかなか難しい。

 

つい先日、親戚の集まりがあり、そこに来ていた子が一心不乱にクロスワードパズルをやっていた。その子のお母さんも夢中になって解いている。

僕も暇だったので挑戦することにしたのだが、これがなかなか面白い。けっこう頭を使うのだ。持っている知識を総動員し、マスを埋めていく作業が、脳味噌の片隅まで掃き掃除をしているようで快感である。

すると、親戚の親子が「ここがどうしてもわからん!」と、悩み始めた。途中までパズルを解いていたようだが、どう考えても分からない部分があるようだった。見るとこんな感じにマスが空いていた。

 

                  じ

                  □ま

              しんどう

       でい□ □

              □

              □

 

……このマスを再現するのにかなり時間がかかった。心が折れそうになったが、ここまで書いたので最後まで書くとする。

とにかく、タテの「じ□ん□」と「し□□□」、ヨコの「□ま」と「でい□□」という単語が埋まらず悩んでいるようだった。

そしてそれぞれにはヒントとなるカギが書いてあるのだが、

 

「じ□ん□」

→シューティングやアドベンチャーなど

「し□□□」

→超えてナンボ

「□ま」

→デック

「でい□□□」

→いろんな意味での交渉

 

と、あった。

普通、ヒントなので分かりやすい単語が入っているはずなのだが、「デック」だけは全く意味が分からない。なんだよデックって。分かる言葉を書いてくれよ。

この埋まらないマスのために、僕は必死で頭を使った。脳味噌の片隅の片隅まで探したがまったく分からなかった。脳味噌のシワの奥までも丹念に探した。が、見つからなかった。

まずタテの「じ□ん□」、カギには「シューティングやアドベンチャーなど」と書いてあった。ということはゲーム関係だろうか?と散々頭を悩ませ出てきたのは「じまんじ」だった。ボードゲームの映画の名前である。ズルした男の子が猿になるやつ。しかしよく考えたらそれは「ジュマンジ」だった。なので保留にした。

次にヨコの「□ま」。お前だよお前。「デック」のお前だよ。この「ま」は「蛍の光〜◯◯の月〜」とあったので下の言葉とも合わせて「まど」が正解なので正しい。だが、そもそも「デック」の意味が分からない。デック……デックの坊(木偶の坊)?ダメだ、こんなことしか思い浮かばない。1番の木偶の坊はこんな事も分からないお前だよと言わんばかりである。とりあえずこれも保留。

次にタテの「し□□□」、「超えてナンボ」って何だ?「し」から始まる超えてナンボな四文字……「師匠(ししょう)」か?ふとキル・ビル2のパイメイ先生のような師匠の姿が頭に思い浮かぶ。

「ワシを超えてみせよ…」

誰なんだ一体。クロスワードパズルの師匠か。

とりあえず、小さな文字で「ししょう」と書いた。

最後に、ヨコの「でい□□」、「いろんな意味での交渉」とあるが、先ほどの「ししょう」が正しければ「でいし□」という単語になるはずだ。何だ「でいし□」って。でいし……出、石……?「出石」?いや、出石と書くと「いずし」だ。水曜どうでしょうで皿そばを食べていたところだ。この地に「いろんな意味での交渉」という意味はもちろんない。

 

「ぼかぁねぇ〜こんなパズルをねぇ別にやりたいわけじゃないんだよぉ」

 

と、頭の中で小さな大泉洋がボヤいている。頭を使いすぎて全く関係のないことを考え始めてしまった。今や頭の中でジュマンジの猿になった子と、パイメイ先生と、大泉洋、そして謎の「デック」が侃侃諤諤とああでもないこうでもないと議論している。

 

……さて、ここまで書いてかなり長くなってしまったので、続きは次回に持ち越しである。

ここまでで、勘の良い人は気付いていると思うが、実はある重大な「見落とし」をしているのだ。その「見落とし」とは…?そしてパズルは全て埋まるのか…?

続きは次回の「解決編」で。

またお会いしましょう。

小島えもでした……(古畑任三郎風に)

『ふ』

『ふ』という言葉には何か不(ふ)思議な力がある。

 

小さい頃に読んだ本にこんな一ページ、いや二ページがあった。

そのページには、「きょうふのみそしる」という言葉と、恐ろしい顔をしたゾンビが味噌汁の入った茶碗を持っているイラストが描いてあった。

ところが、次のページをめくると実は「きょう、ふのみそしる」であり、先ほどのゾンビが嬉しそうな顔をして「やったー!ふだー!」と言っているイラストが描いてあるのだ。

つまり、「きょうふのみそしる」は「恐怖の味噌汁」ではなく、「今日、麩の味噌汁」だったのだ。しょうもないダジャレだ。だいたい怖い味噌汁とは何だ。味噌の代わりに脳味噌が使ってあるのだろうか。それだったら怖い。

 

先日、「大阪府」と書く機会があった。

その時に「府」という部分に妙な引っ掛かりを持った。日本で「府」が使われているのは大阪府京都府のみである。どちらも「大阪」「京都」と呼んでいるせいか、「本当に大阪『府』で合ってるのか…?」と不(ふ)安に思った。

「おおさかふ」と頭の中で音読してみると、ぼんやりと「柔らかい」イメージが浮かんできた。僕の大阪体験というと、道頓堀で背の高い女に「ねえ、もう行こう、ねえ」と強引に夜の店に誘われたり、新世界の地下劇場でホモのおじさんに股関節あたりをさすられまくったりと散々なものが多い。(ホモのおじさんの話はまた書こうと思います)

だが、大阪には人情や、温かみのような、色でいえばオレンジで、図形でいえば鉛筆で描いた楕円のようなイメージもある。この辺りのイメージが「柔らかさ」に近いのではないだろうか。散々な目に遭いながら、大阪のことを嫌いになれず、むしろまた行きたいと思うのも、この「柔らかさ」に触(ふ)れたいからかもしれない。

京都府の「ふ」はまさに京都のイメージ通りだ。

小学生の頃、修学旅行で京都に行った時、清水寺のあたりにあったお土産屋で小銭をばらまいてしまった。慌てて小銭を拾ったが、どう考えても100円足りない。小学生の僕にとって100円はまあまあな大金だったので、僕は途方に暮れて大泣きしてしまった。

そんな僕を見て、お土産屋の優しそうなおじさんが暖かい梅昆布茶を一杯くれたのだ。その梅昆布茶の美味さは、今でも忘れられない。

だからそれ以降、僕の京都のイメージはあの暖かくてほのかに酸っぱい梅昆布茶だ。ひらがな一文字で表すなら間違いなく「ふ」である。梅昆布茶を冷ます時も「ふぅふぅ」と息を吹(ふ)きかける。

 

豆腐の「腐」も本来は「柔らかい」という意味であると、どこかで聞いたことがある。「ふ」に持った「柔らかさ」というイメージはあながち間違っていなかったのかもしれない。

「ふ」という言葉には、人を「ふふふ」と笑顔にする力がある。

 

ところで、僕は昔から親に「お前といると『ふ』のオーラが移る」と言わているが、これは全くいい意味ではない。不(ふ)憫な小島を笑ってくれ。

乗りたい車と本当のロッカー

去年、ようやく普通自動車免許を取得した。

高校を卒業し、大学に進学する時、ありがたいことに祖母が車校(余談だが、自動車学校のことを車校というのは中部地方だけらしい。便利だから使ったらいいのに)の費用を用意してくれていた。にも関わらず、通いはじめたのは去年。大学に進学したのは6年前だ。理由は、原付の免許を持っていたので、それほど困ることもなかったからだ。それに大学も忙しくて……ごめんなさい、めんどくさかったからです。本当にどうしようもない。

だが、通い始めてからは新しい発見の連続だったので面白かった。アクセルをふんわり踏み込むとゆっくり車が動き出す。それだけで楽しい。ガンダムに初めて乗ったアムロと同じだ。「こいつ…!動くぞ…!」と思った。残念ながらニュータイプではないので運転に慣れるまでかなり時間がかかってしまったが。

僕を指導してくれていた教官は、見た感じ僕の一つか二つ歳上くらいの若いイケメン教官で、いつもダルそうだった。僕の覚えが悪いのでよくミスをしたが、その度に露骨に嫌そうにしていた。昼過ぎだといつもあくびをしながらの指導だった。

乗車中、教官とよくたわいもない話をした。だが、教官とあまり趣味が合わず、会話はまるでローギアで走る車のようにガタガタとしていてスムーズではなかった。例を挙げるなら、路上を走っていて「この辺に美味しいご飯屋ってないの?」と聞かれ、「◯◯ってラーメン屋が美味しいですよ」と言うと「ラーメン好きじゃない」と言われ、逆に「どこか美味しいご飯屋知ってますか?」と聞くと「スシロー」と答えられる……という具合である。スシローは美味しいが、求めていた答えとは違う。(書いてて思ったが、嫌われていたのかもしれない)

ある時、教官に「免許取ったら何の車に乗るの?」と聞かれた。車校でよくありそうな会話である。おそらく、他の生徒にも聞いているのだろう。

僕にはちょっとだけ憧れている車があった。日産のラシーンという車である。(参考までに→https://goo.gl/VHyFcz)この車を知るきっかけになったのはceroのSummer Soulという曲のMVだ。(これも参考までに→https://youtu.be/lfETQNfBAD4)このMVに出てくるのがラシーンだ。あと、大好きな漫画「干支天使チアラット」にも出てくる。今の車にはない角ばったデザインで、どこまでも行けそうなフォルムをしている(実際どうかは知らない)。いつかこのラシーンに乗って、修学旅行で行った北海道の真っ直ぐな道を走ってみたい…と妄想していた。

「日産のラシーンって車に乗りたいなと思ってます」と、僕が言うと「ラシーン?知らんなあ…」と言われた。車校の教官なのだから車には詳しくあれよ…と思ってしまったがちょっと古い車なので知らなくても当然かもしれない。

すると教官が「ラ・ムーなら知ってるけどね…」と言うのだ。

 

ラ・ムー?

 

ラ・ムーってあの菊池桃子のラ・ムーか?

 

ご存知だろうか。かつて「ラ・ムー」という伝説のロックバンドがいたことを。アイドルだった菊池桃子が突如結成し、「愛は心の仕事です」や「少年は天使を殺す」「Tokyo野蛮人」といった名曲で知られるロックバンドである。というか、この三曲しかシングルを出してないし、アルバムも一枚だけである。若き日の大槻ケンヂ「本当のロッカーとは!!ラ・ムーのボーカリスト!菊池!!桃子さんだぁ〜〜!!!」と声高に叫んでいたので、高校生の頃、試しに聴いてみて衝撃を受けた。菊池桃子の消え入るような細々とした声、独特のリズム、凝ったバックコーラス…「これが本当のロックンロールか!!」と信じ込んでいた。

 

……話を元に戻そう。そんなラ・ムーという単語がまさかこれまで一つも話が噛み合わなかった教官の口から出ようとは。

初めて話のギアが繋がるかもしれない、と思わず

 

菊池桃子のことですか!?」

 

と聞くと、

 

 

「………は?」

 

 

と返された。どうやらラ・ムーという店が近所にあるらしい。話はそこでエンストした。

午後、四十代くらいの別の教官に同じ話をしたらめちゃくちゃ笑ってくれたので、僕は悪くない。

こんなにも書いたが、教官は悪い人ではなかったし、何よりもこの人のおかげで車を運転できるようになったのだ。とても感謝している。

 

残念なのは、車を運転する予定が全くないということだけだ。

「小島えもの頑張るブログ」のロゴを作りました

いつもブログを見てくださり、まことにありがとうございます。はじめましての人ははじめまして。ブログ書いてます。

 

ところで、はてなブログというのはアイコンが設定できるようなので、せっかくだからこのブログのロゴを制作した。

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イメージは昭和のバライティー番組である。

昭和のバライティー番組のロゴはよく見ると面白い。点々が星やハートになっていたりする。このロゴは「8時だヨ!全員集合」や「植木等のそれ行けドンドン」を参考にした。もといパクった。どうでもいいが「植木等」を毎回「植木など」と読んでしまう。などにはクレイジーキャッツのメンバーが含まれるのだろうか。谷啓は知っている。

 

それにしてもなぜ「頑張るブログ」なんて題名にしたのだろう、と思う。自分で名付けたのに。

ブログの名前を決める時、数個案を出した。「吾輩はえもである」とか「えも六尺」とか「えもの奇妙な冒険」とか。ただ、あまりしっくり来なかったのだ。それで、何となくつけたのが「小島えもの頑張るブログ」だった。

「頑張る」という言葉が嫌いな時期があった。自分では頑張ってるつもりなのに他人から「頑張れ」と言われ続け、「頑張れ頑張れって言うけど、これ以上何を頑張ったらいいのだろう」と悩み、しまいには頑張りすぎてパンクしてしまったことがある。「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」と石川啄木は言ったが、当時の僕は「頑張れど頑張れど猶…」だった。ぢっと手を見る他ない。

だが、今こうして当時のことを振り返ると、思い詰めるほど頑張ってはいなかったと思う。いや、何といえばいいのだろう。間違った頑張り方をしていたのかもしれない。他人からの「頑張れ」に応えようと必死で、自分のペースを乱していたような気がする。が、過ぎ去ってしまったことを後悔しても仕方がない。気付くのはいつも全てが終わってしまった後だ。

だからかもしれないが、今、何か頑張ってやってみたいなと思うことが多い。このブログもその一つだ。文章を書くことが好きだったので、エッセイと言うと大袈裟だが、日々思うことを何かに残しておきたいと思っていた。

そう考えると、何となくつけてしまった「小島えもの頑張るブログ」という名前も悪くない気がしてきた。「ひょっこりえもこ島」と名前を変えようかなと思っていたが、このままでいくことにしよう。ちょっと「ひょっこりえもこ島」も気に入っているけど。

今年の目標は「頑張る」。ということで、これからも一つよろしくお願いします。

 

 

 

いつもどうでもいい話ばっかりだなと思うが、今日はいつもに増してどうでもいい話である。オチもないし。いつまでもクリームに届かないクリームパンのようだ。それはもはや無味のパンである(これが今回のオチ)

この青い地球に

地球は青かった」とかつてガガーリンは言った。(はてなダイアリーによると本当に言ったという記録はないらしい。言っといてくれそこは)

とにかく、地球は青いらしい。先程から「地球」と打つと出てくる絵文字🌍も青い。

僕も地球に生まれたのだが、生まれてこのかた肉眼で見たことはない。おそらく、地球人の0.1%ほどしか自分の住む星を見ることは出来ないだろう。※追記あり

ところで、なぜ地球は青いのだろう?検索してみるととても分かりやすく解説してくれるサイトがあった。以下、引用である。

 

地球の表面の70%は海におおわれています。宇宙(うちゅう)から見て、青く見えるところは海なのです。
では、なぜ海は青く見えるのでしょうか。その理由はいろいろありますが、一番大きな理由は、太陽の光です。
太陽の光は、にじの7つの色がひとつにまざりあったものです。7色のうちの青の光だけが海の深いところまでとどくために、海は青く見えているのです。ほかの色はとちゅうで海水に吸収(きゅうしゅう)され、消えてしまうのです。

参照:https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1340.html

 

…なるほど。

普段生活していて、自分が地球にいると感じることはない。狭い世界で生きることに一生懸命で、外に広がる広い世界を感じる暇など無いからだ。だが、夜に煙草を吸いながら星空を眺めていると、太古の人々が名前をつけた星たちが光っている。詳しくはないが、おそらくギリシャ人とかが名前をつけたのだろう。と、いうことは遠く離れた国でも同じ星を見ているはずだ。この狭い世界も地球の一部なのだ。冬は特に星が綺麗に見えるので、自分が地球という一惑星に住んでいるのだなと実感する。とてもぼんやりとだが。

 

地球を想像するたびに、一緒になって思い出すことがある。

四年生の頃、学校行事で半成人式というものがあった。ちょうど10歳、半成人になるのでみんなで歌を歌ったりする会である。

こういう会に付き物なのが一人一人がフレーズを言っていくアレである。正式名称は分らないが「楽しかった〜」「運動会〜」みたいなやつだ。半成人式の前に誰がどのセリフを言うか決める時間があった。そして、たくさんのセリフの中に「この青い地球に」というセリフがあったを見つけた。

言いたい。「この青い地球に」を。当時の小島少年は真っ先にそう思った。

半成人式とは親も参加する。小学生にとって一番の魅せ場だ。しんと静まり返った体育館で、人一倍心を込めながら「この青い地球に」と言いたい。「この青い地球に」。なんてかっこいい言葉なのだろう。このセリフは半成人式の主役級、給食で言えば揚げパンレベルだ。「運動会〜」とか「遠足〜」などという言葉は全てきゅうりの酢の物である。

「自分の言いたい言葉に丸をつけて」と先生が言った瞬間、僕は黒板までダッシュし、「この青い地球に」の部分に丸をつけた。誰にも譲れなかったからだ。ところが、あまりに急ぎすぎて手元が狂ったのか、間違えて隣に丸をつけてしまった。隣の言葉は「生まれた」だった。半成人式本番、学年一優秀だった同級生が言う清々しいくらいの「この青い地球に」の後に、小さく「生まれた」と言ったのを今でも覚えている。

 

大事な瞬間に焦ってはいけない。

半成人時代の反省である。

 

※追記:「マジで今まで地球を肉眼で見たことのある人は世界人口の何%なのだろう?」と思い、今まで宇宙に行った宇宙飛行士の数と世界人口で計算したところ0.000017%でした。少〜〜)

 

落書いて、人生。【ケンギフカルチャーサミット】

アートって何だろう。

こんなことをふと考えたりする。

シュールレアリズムとか、レディメイトとか、モダンアートとか、ポストモダンとか・・・

言葉として学び、作品として学んでもなお、説明することが出来ない。

アートとは、一体何なのだろう。

そんなモヤモヤとした気持ちが生まれてくる。

 

と、いうわけで今回、岐阜県可児市で行われている「ケンギフカルチャーサミット」に行ってきた。

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公式サイト:kengifuculturesummit

 

岐阜県岐阜県に所縁のあるアーティストたちによるアートショー」

と銘打ったこの企画。

主催したのはTOMASON:TOMASON (@tomason_kt) | Twitter

という岐阜で活躍するアーティスト集団である。

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どこかのちょっとビターな唇泥棒のようなアー写

 

このTOMASONでイラストを描いている開登[かいと](写真左2)は大学の同級生で、

厄介ごとがあるとよく「まじ、頼む、ホント、お願い」と電話をかけてきた。

そんな縁でTOMASONの活動をたまに手伝っていたので、他のメンバーとも仲良くさせてもらっている。

地元岐阜でアートショーをやることが開登の長年の夢であった。

念願かなっての展示である。

だが、今回の展示で7年続いたTOMASONとしての活動を終わりにするという。

この「ケンギフ」はいわゆる最後の晴れ舞台という訳だ。

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会場に着くと、ちょうど開会式が行われようとしているところだった。

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TOMASONメンバーによる開会宣言のあと、ヨルトエという可児出身のバンドによるライブがあったり

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TOMASONメンバーとダンサーのシゲキさんによる創作ダンスも披露された。

また、会場内には岐阜県出身のアーティストによる作品も展示されていた。

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もちろん、TOMASONによる作品も展示されている。

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ところどころにオチンチンがいる。

用事があったので途中退散してしまったが、夜の10時までイベントは盛り上がったそうだ。

 

僕自身も岐阜出身だが、こんなにも岐阜出身のアーティストがいることに驚きだった。

が、それ以前に開登はどこで彼らと知り合ったのかが気になった。

 

思い返せば彼は学生時代から謎の多い男だった。

僕らはデザインの大学にいたのだが、彼は一年生の頃にデザインをすることをやめ、

「落書きはアートだ」

と言って、アート活動(落書き)をするようになっていた。

同級生たちが自分の持ち物にTOMASONのステッカーを貼っていたのを覚えている。

彼と仲良くなったのは大学三年生の頃からである。

友人たちとフリーペーパーを作ろうと企画をしていた時、「TOMASONとして何かやらせてほしい」と言ってきたのである。

その頃には自分でTシャツを販売したりと精力的に活動していた。

僕の卒業制作では彼にインタビューもした。

開登自体は卒業制作のプレゼンテーションで、「展示室に3メートルほどの小屋を建てたい」と言って教授をブチ切れさせていた。

そして小屋を建てることを諦めた彼は、なんと卒業制作会期中に会場近くのギャラリーで個展をやってのけたのである。

思い返すと何もかも懐かしい。

 

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写真中央、彼が乗っている表彰台のようなものは彼の卒業制作である。

赤瀬川原平の「四谷の純粋階段」を模したオブジェに自身の絵を描きまくっている。

これを見ていると、卒業制作の直前に開登から

「ちょっと時間ないから小島君の家で作業させてくれ。まじ、ホント、お願い、時間がない」

と頼み込まれたことを思い出す。

当時、僕は大学近くに友人と二人で平屋のボロ家を借りていた。

一緒に住んでいた友人は「お前の部屋でやるならいいよ」と言うので深夜、純粋階段(を模した段ボール)を二人で家に運び込んだ。

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寒い中、他に来ていた友人に背中をシバかれながら黙々とペンを進めていた。

明け方、集中力が切れてくると大好きな「でんぱ組.inc」を流しながら、奇声を上げて作業に没頭していた。

この頃、個展の準備も同時に進めていたので、寿命を削っていたんじゃないかと思う。

 

またある時は、

「TOMASONのドラマ作るから、頼む、出演してくれ、マジで、お願い、ホント、TOMASONのこれからがかかってるから」

と言って河川敷に呼び出された。

ドラマの内容は「河川敷にある便器と青年の友情物語」だった。

www.youtube.com

開登は便器を演じていた。

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「ワシは便器じゃ」

 

今思い返すと何だったんだこれは。

ちなみに、僕は「便器を取り壊しにきた市の職員」役だった。

こんな便器、取り壊されて当然だ。

 

そんな彼は卒業後、東京に行ってしまった。

東京に行ってからも創作活動は留まることを知らず、SNSでその活躍を見ていた。

ラジオも始めたりして、ある女性作家からボロカスに批判もされていた。

そんな彼が今回、長年の夢だった「地元岐阜でのアートショー」をやってのけたのだ。

一友人として、誇らしく思う。

反面、同い年でここまでのことをやってのける彼に少し嫉妬する。 

なんか、遠くの存在に感じてしまって寂しくなることもある。

 

改めて、「アートって何だろう」と思う。

冒頭にも書いたが、「アート」を説明できないモヤモヤとした気持ちが心に生まれる。

 

 「アートとは何か?」という出口の無い迷宮には、誰かが掘った難しい名称の穴ぼこがいくつも空いていて、人々はそこに自身の身体を埋めている。僕はその穴につまずいて身動きが取れなくなっていたのかもしれない。

ただ、この「ケンギフカルチャーサミット」はそんな迷宮の天井をぶち壊して、広い空があることを教えてくれた。

分かりづらい例えで大変恐縮だが、要するに今回の展示を見ていて、

TOMASONや他のアーティストの方々の作品から

「難しいことなんか気にすんなよ、みんな楽しければそれでいいじゃないか」

というメッセージが聞こえてきたような気がしたのだ。

きっと開登自身も難しいことを考えず、ただ自分の好きなように動いていると思う。

(難しいことを色々と考えていたのならごめんね)

TOMASONとしての活動は終わるらしいが、たぶん個人での活動は続くのだろう。

これからも彼は自分の好きなように落書いて落書いて落書きまくるはずだ。

もしかしたらまた「マジ、頼む」の電話もあるかもしれない。

それには暇だったら応えようと思う。

 

とりあえず、開登、ねっこさん、なすくん、やまもとくん、おおはしくん

7年間、お疲れさまでした。

これまでTOMASONの活動を間近で見ることができて幸せでした。

たくさんの刺激を与えてくれてありがとう!!

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・・・なんかこれで終わりみたいな書き方をしてしまったが

ケンギフ自体は2/5(月)まで開催中とのこと。

このブログを読んでいるあなた、要チェックですよ。

(もう行ったという方、楽しかったですね)

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ケンギフカルチャーサミット

日付 / 2018年 2月3日(土)〜2月5日(月) AM10:00-PM10:00 ※最終日は16時まで

場所 /可児市文化創造センターala
〒509-0203
岐阜県可児市下恵土3433-139
TEL:0574-60-3311
​URL:http://www.kpac.or.jp
■最寄駅
名鉄 日本ライン今渡駅(タクシー5分、徒歩10分)
・JR 可児駅(タクシー10分、徒歩30分)
■高速道路でアクセス
東海環状自動車道 可児・御嵩IC(約15分)
中央自動車道 多治見IC→国道248号線(約25分
(437台収容の無料駐車場をご用意しております。イベント時は込み合いますので皆様での乗り合わせ、または公共交通機関のご利用をお願いいたします。)
URL:http://www.kpac.or.jp/access/